巫部凛のパラドックス(旧作)
 ゆきねの影を追う事約三分。屋上へと続く階段の踊り場まで来ると、不意に振り返った。
「これはどういうこと?」
「どういう事と言ってもそれはこっちが聞きたいくらいだ。今日にになったら巫部の人格がいきなり変わっちまっうんだもんな。訳がわからんねえよ」
「あんたにもわからないの?」
「俺にもってことはゆきねもこの事態が分からないってことか?」
「そうよ。だけど一つだけ分かることがあるわ」
「一つだけ?」
「ニームの気配が消えたってこと」
「消えた……って、巫部は教室にいたぞ」
「この際、彼女の存在はどうでもいいの。重要なのはニームという存在が消えたってこと。彼女は確かにニームだった。それは確実。でも、今日になったらその気配は無くなっていた。これはどんな理由を考えても説明がつかないことだわ」
「じゃあ、巫部はいるけど、そのニームとやらがいなくなったと」
「そうね……」
 そう言って手を顎に沿え考え込んでしまう。しばらくの時間が流れ、視線は下を向いたままゆきねは口を開いた。
「あんまり肯定はしたくないんだけど、この状況を察するに……この世界の彼女は私たちがいた世界の彼女じゃない」
 なんとなく禅問答しているような気分だ。でも確かに、今日の巫部は今までと全く違う性格になっており、訳のわからん世界になっちまったのかと思ったが。
「もしかしたらこれもニームの力なのかもしれない。一刻も早く正常に戻す事が必要なのかも」
「ちょっと待て。お前もこの世界が異常だって思ってるんだよな。じゃあ、ゆきねはいつものゆきねってことだよな」
「私は私よ。他の誰でもないわ」
 俺をまっすぐ見つめる瞳は、確かにいままで見ていたゆきねの顔で、久しぶりに見る真剣な表情であった。
「でも、どうしても一つだけわからないことがあるの。それは、何故あんたは改変に巻き込まれていないのかってこと」
「いや、俺に言われてもねえ」
 この世界は何もかも変わっちまった。巫部の性格が百八十度変わったと思ったら誰もそれを否定しない。だが、なぜ、俺たちだけが正常なんだ? 誰がこれをしかけた。巫部、お前なのか?
「私が導き出した答えは一つ。あんたは、このイレギュラーな事態でも記憶を保っている。やはり、あんたが鍵だったんだ」
「鍵ってなんだよ」
「このイレギュラーな世界から脱するためには、あなたの力が必要ってこと」
「俺がか?」
「そう」
 まいった、意味がわからねえ。いきなり訳の分からん世界にすっ飛ばされたと思ったら、その世界から脱するには俺が鍵だとか言いやがった。一体どうなってんだ。
「で、俺は一体何をすればいいんだ?」
「簡単なこと。明日の放課後、彼女をここに呼び出して。そうねえ、時間は今と一緒でいいわ」
「ここに? なんだ、直談判でもすんのか?」
「今の彼女に何を言っても無駄よ。何の葛藤もなく生きてきたんだから。いい、何があっても驚かないで」
 そりゃあ、もう、こんな体験をしてるんだ。並大抵の事じゃ驚かないけどな。
「そうわけで、頼んだわよ。私はもう少しこの世界を調べてみるから」
 そう言い残すやいなやゆきねは踵を返した。一体この訳のわからん世界からどうやって脱出するというのだ。具体的な方法をゆきねは示していないが、あいつが言うんだ、何か方法があるんだろう。と、さして気にもとめず、麻衣と帰宅の途についた。
 
 翌日、相も変わらず巫部の豹変した性格を眺めている。こんなにも大人しいのは逆に不気味に思えるな。ただ、まあ、昨日の約束を遂行しなければ、元の世界に戻れないっぽいし、ここは指示に従うとするかねえ。
 そう言って立ち上がり、
「よう」
 巫部に片手を挙げて話しかけた時に気づいた。一体どんな風に話かければいいんだ? 元の世界では俺たちを巻き込みまくった張本人で、ひとたび口を開けば罵詈雑言の嵐だったのに対し、この巫部は百八十度違っている。いつものような会話でいいのか?
 一瞬のうちに脳裏を駆け巡る思いとは裏腹に当の巫部本人は、
「……」
 首を傾げ俺を見上げていた。ヤバイ。本気でどうしていいかわからん。俺が次にどのような言葉を発しようか逡巡していると、
「……あっ、あのう、なにか御用でしょうか?」
 か細い消えてしまいそうな声、こちらから仕掛けたのに先制されてしまった俺は、若干虚をつかれてしまったが、思考を総動員して言葉を紡ごうと努力してみる。
「おっ、おう、そうだな。悪い悪い。で、だ。今日の放課後は空いてるか?」
「……今日の放課後ですか?」
「ああ、少し話があるんだ」
「……」
 無言になった巫部は、事もあろうか俯きながら赤面しやがった!
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