巫部凛のパラドックス(旧作)
「考えていてもしょうがない。まだ放課後っぽいし、教室にでも行ってみるか」
 俺は考えることを先延ばしにし、生徒会室をでようと扉の前に向かうと、
「いやー掃除が長引いちゃってさ、来るのが遅れちゃったわよ」
 一昨日までと同じように、巫部が笑顔で扉を開けやがった!
「……」
 しばし呆然とする俺。待て待て待て、何故、巫部がここにいる。こいつは確かさっき一思いに刺されたんじゃないのか? それも串刺しって例えしか当てはまらないほどの惨殺っぷりで。
「なにやってんのよ蘭。あんた一人?」
 巫部は、いつもの感じで俺を一睨みすると、いつもの席に腰を下ろした。
 俺の思考は完全フリーズ状態。一体何が起こってんだ。何も考えられず、ぼんやりと巫部の方に向き直ると、
「どうしたの? 顔色が悪いわよ。まるで幽霊でも見たみたいね」
 いつものどうってことない性悪女の顔がそこにはあった。
「ああ、なんでもない」
 今の俺にはこれしか発せられない。何故巫部が生きているんだ。まったく意味がわからない。
 力なくパイプ椅子に腰を下ろすと、
「本当にどうしたの? なんかおかしいわよ。いい精神病院を紹介しよっか? って、聞いてんの?」
 巫部の皮肉も一向に受け付けない。俺はただただ呆然としながら、ぼんやりと目の前を見つめることしかできなかった。
「すみません。ホームルームが長引いちゃいました」
 今度は、いつものように天笠が入ってきた。
「遅いわ! 美羽。私はコーヒーね」
「はい、今淹れますね。お砂糖はどうしましょうか?」
 などと通常の会話がなされている。
「会長もどうですか?」
「ああ、すまんが、ちょっとトイレにいってくるよ」
 この場にいては俺の精神が持たないと思い、廊下に避難することにした。廊下を歩きながら考えるが、答えなんてものはこれっぽっちも浮かばい。俺に一体何がどうなってんだ。
 とりあえず、顔でも洗おうと、水道に向かうと、対面から、見慣れた制服姿の少女が歩いてきた。ゆきねは、あと一メートルというところで立ち止まり、
「あんた、大丈夫なの?」
 ここにきてやっと、今の状況にマッチした会話が来た。
「ああ、なんとかな」
「そう、もう少しパニックになると思ったんだけど、意外と冷静なのね」
 ゆきねはニヤリと顔を歪ませるが、これが冷静の訳がない。錯乱寸前だ。
「じゃあ全部説明してあげる。こっちへ来て」
 そう言ってゆきねは歩き出した。後につくこと約三分、あの踊り場までやってきた。
「さて、あんたは何を見たの?」
 振り向きざまに問いかける。
「何って、ここで、巫部をお前が背後から……」
「そう。私はここで、巫部凜を消した」
 再度脳裏をかすめるあの記憶。
「あんたは、あの世界の彼女を覚えてる?」
「?」
「記憶が混乱するのももっともよね。でも、慣れてもらわないと、これからきついわよ」
 俺にはゆきねの言っている意味がわからない。俺が何て返答しようか迷っていると、
「あの世界の巫部凜は、それはもう美しい淑女になってたわよね。この世界の彼女とはまったく違う性格のように」
 ゆきねの問いかけに記憶を巻き戻すと、確かにあの巫部は、中身が入れ替わっっちまったんじゃないかというくらい別人になっていた。
「あの世界は彼女、ううん、ニームが作りだした平衡世界の一つ。遠い過去で枝分かれした現実になりうる可能性のあった世界の一つなの。でも私たちがいた世界からすると虚構の世界。だから、その世界の彼女を消せばその世界が収束も収束するのよ」
 もう一つの世界か。確かに言われてみればそんな気もする。豹変した巫部の性格、しかもクラメイト全員がそれを肯定していたし、別の世界って比喩が一番しっくりくる。
「じゃあ、その巫部を殺したから、俺たちはこの世界に戻ってこれたってことか?」
「そうよ。あのような世界からの脱出方法は一つ、ゲームマスターを葬り去ることなの」
「ゲームマスターって……」
「あの世界はニームが作り上げたゲームの中のような世界なの。だから、その世界を作り出した元凶はゲームマスターという呼称が正しいいんじゃないの?」
「呼び方は何でもいいんだけどさ……と、いうことは、ここはもう元の世界なのか?」
「そうよ。その証拠に、彼女も元通りだったでしょう」
 全て見ていたかのようなゆきねの口調も、先ほどの生徒会室を思い出すが、なるほど、確かにさっきの巫部は今まで俺たちが見てきた奴そのものだったな。ってことは、ここはもう、元居た世界だってことか。
「なんでまた、俺たちはあんな世界に巻き込まれちまったんだ?」
「この前言ったけど、それはわからないの。ニームの力が目覚めたのか、それ以外の要因なのか、通常、あの世界の住人は全ての人がその世界のそれまでの生活をしている。だから誰も気づきはしない。だけど、あんた達だけは、自分の意思を持っていた。やはり、あんたがそうと考えるのが自然よね」
「俺が、何?」
「この世界を救う鍵ってこと」
「鍵ってなんだよ」
「それは未だ言えない。あまりにも不確定事項が多すぎるから、余計な事を言ってあんたを混乱させても悪いからね。でも、これだけは覚えておいて。もしかすると、また、あのような世界に巻き込まれることがある、と」
 とんでもない事をさらりと吐き、ゆきねは階段を降りようとする。
「ちょっと、待ってくれ」
「なに?」
「あのさ、あいう世界から戻るのって、いちいち巫部を殺さなくちゃいけないのか?」
「そうりゃそうよ。それこそ前にも言ったでしょ。ニームを殺すのは私の役割ってね」
「前にも言ったが、できれば、ああいうのは今後勘弁してもらえるとありがたいんだが」
 これは、一般人の一般的な思考だと思う。目の前であんな光景を見せられたら、誰だってトラウマになりかねん。しばらく肉は食えそうにないしな。
ゆきねは、手を顎に据え、しばらく眉間に皺を寄せたあと、
「あれから、考えたんだけど、やっぱり今はこの方法しかないわ。私はこの世界を救うためなら、最も効果的な対策をとるの」
 そう言い残し階段を下りていってしまった。しかし、またやっかいな事になったな。
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