キミの隣で恋をおしえて〈コミック版:恋をするならキミ以外〉
病室から出されて、廊下で一人佇んでいた。
中の声は何も聞こえない。
絵梨の絡まる記憶の中では、俺と関係を持つ前の段階で止まっていた。
それならそれで、いいのかなって最近は思えていた。
それがいつまでも続いていくとは思えないけど、それでも。
今、絵梨がそれで楽ならば。
きっとこのことが、絵梨の記憶を失くさせてしまった原因。
「佐久良くん、どうぞ」
音を立ててドアが開き、最初に医者が出て、最後に出てきた看護師が俺に言った。
その顔はひどく穏やかで、それをどう受け取っていいか分からずに一礼しながら、そっと病室に入った。
ベッドの上には、窓の外を向いた絵梨がいた。
頭痛、と呼べるのか分からない苦痛は、今はもう緩和されたようだ。
「絵梨…?」
その表情が分からなくて、そっと名前を呼んだ。
窓の外へと視線を向けていたその顔が、ゆっくりとこちらへ振り返る。
「…“絵梨”じゃ、ないでしょ?」
その顔は、他の誰よりも知っていて、そして他の誰よりも知らない、絵梨の顔。
“先生”で、ある顔。
「何か浦島太郎になった気分。本当にあるんだね。記憶喪失、なんて」
絵梨は髪を耳にかけながら、ふっと笑った。
その顔は、この2年間、見てきた顔だった。
強い、といえば強く。
儚い、といえば儚い顔だった。
それが教師である証なのか、俺の知っていた絵梨とはもう違う。
ううん。
本当はとっくの前から変わっていた。
それを見て見ぬふりしてきたのは、誰でもない俺だった。
そして、絵梨だった。
「話、聞いたよ。ずっと付き添ってくれてたんでしょ?
ごめんね。最後の最後まで迷惑かけて」
腰までかけた白いシーツの上、絵梨は掛け合わせた手を見つめて、囁いた。
「きちんと想いを伝えずに安堂くんの手を離したこと、結局あたしが後悔してて。
歩道橋の階段で、もうこのまますれ違うだけの関係になってしまったんだって思った瞬間、気がつけば空を仰いでた。
ホントにごめんね。…最後の最後まで、迷惑かけちゃって。これじゃ、どっちが年上だか分かんないよね。あたし、佐久良くんに救われてばっかで…」
口角は上がっていた。
でも、泣いていた。
涙は流さずに、でも、確実に、その顔は泣いていた。
「…なに、言って…。それは、……俺の、方で……」
視線を落としながら、かみ締めるように呟いた。