恋は理屈じゃない
通用口から外に出ると、笠原さんが運転する黒塗りの車が目の前で停まった。後部座席に速水副社長と共に乗り込む。
「笠原、“さくらい”へ」
「はい」
速水副社長が行き先を告げると、車が発進した。
「あの、“さくらい”って?」
隣の速水副社長に向かって尋ねる。
「料亭の名前だ」
「私、料亭って初めてです」
粗相のないようにしなければ、と思いながら背筋を伸ばす。
「そうか。別に料亭だからといって、そんなに緊張することない」
「はい」
速水副社長は私を気遣って、口もとに笑みを浮かべた。その様子を見ていたら、肩の力も自然に抜ける。
「それで鞠花ちゃんはお酒、飲めるのか?」
「ビールとかカクテルなら飲めますけど」
聞かれたことに答えると、速水副社長は身体の前で腕を組んだ。
「そうか。日本酒は?」
「飲んだことありません」
「なるほど」
速水副社長と会話をしていると、信号待ちで車が停まった。時刻は午後九時。車窓の外に見える景色に視線を向ける。東京の夜の街を進む人波をぼんやりと見つめていると、信じられない光景が目に飛び込んできた。
「えっ、圭太?」
後部座席の窓に両手をつく。
「知り合いか?」
「あ、はい」
返事をすると、速水副社長が窓を開けてくれた。