クラッカーにはご用心
「人と会ってくる。今日は帰らんさかい、部屋片付けとけ。」



強盗に遇ったかのように、部屋中物が散乱している。


数十時間もの間身体を酷使して動けない蜜穿には目もくれず、叡執は命令だけして出ていった。



「漂…白剤、買い、に行か、な…」



赤に染まってしまった衣類や寝具を洗濯しなければならないが、叡執の家に漂白剤なんてものは無い。



「げほ、げほげほ、ごほ…」



騒ぎにならないよう店員を誤魔化し、僅かな所持金の中から漂白剤を買った帰り。


後半分といったところで歩みが止まってしまい、休憩とは程遠い感じで路地の隙間に倒れ込む。



日陰のコンクリートは冷たく、今の身体にはちょうど良かった。



蜜穿は人の体温は温かすぎて火傷して弱ってしまう、そんな魚と自分を重ね合わせる。


だから釣りあげた後などは、手を冷やしてから触るようにしなければならない。



温かい優しさより冷たい厳しさの方が、生きていると実感することが出来るのだから、自分にはお似合いなのだろうと。



「はぁ、は……はぁ…」



壁に凭れて見上げる青空は揺れている。


まるで微睡みが、底無し沼へと誘っているようで。
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