興味があるなら恋をしよう−Ⅰ−

「課長…、あの、確認印をお願いします」

これだけ言うのにも実はドキドキしていた。

「ん?…ん、はい。ちょ~っと待っててくれるか…直ぐだから」

「はい」

きっと急ぎの仕事の途中だ。ふぅと息を吐き、トントンと書類を整えると横に避けた。終わったみたいだ。

「よし。はい、いいよ、…貸して」

顔を上げた。

「……あっ。あ、はい、これです、お願いします…」

両手で差し出した。

「ん。…うん…うん…うん。ん?…うん。よし、いいだろう。OKだな」

課長は印鑑を押した。あっという間、…終わった。
綴じられた書類をめくる度に相槌を打ちながら確認する。知ってる。これは最近の課長のルーティンだ。
もう次の書類を取り出していた。

「……ん?」

「…あ。何でもないです、有難うございました」

中々机の前から離れなかったから…。まだ用があると思われたのかもだ。

「ん。あっ、藍原」

「はい?」

…なんだろう。

「悪い、今、手は空いているか?」

「はい、大丈夫です」

「では…」

引き出しから書類の入ったファイルを取り出した。

「これをだな…え〜と何人だ…」

「…5人、です」

「…ん、…人数分コピーしてデスクに配って置いてくれるか」

「はい」

「追加された事務処理規定だ。いつもの事だが、回覧しても、見て無いと同じだからな。印鑑押して回してるだけで、覚える者なんか居ない。写し取る者も居ないし」

あー、あー、耳が痛い。

「適当に間違って処理されたら面倒臭いし。個人でもきちんとファイルしておくように伝えておいてくれ」

「解りました」

返事をして原本を受け取ったにも関わらず、まだ課長のデスクの前に居た。

「…ん、どうした?まだ何かあるのか?解らないことでも…終わったら返してくれ」

そのくらいは…解ってますよ…。

「あ、いえ。はい……あの…」

そうではない。

「ん?何だ?」

うわっ!…どうしよう…。さっさと退散しておけぱ良かったのだけれど…。

「いえ、あの………あ、やっぱり何でもないです、コピーですよね」

はぁ。何してるんだか…。。我ながら…。

「ああ、単純に、コピーだ。……言い掛けたことは何だ…何かあるから話し掛けようとしたんじゃないのか?」

そうでもあるような、ないような…。話し掛けるというか、返事をしたけどそれは…それに仕事の話って……そうでもないから…。でも。

「では…あの、課長は」

「ん?」

「お住まいは…」

「ん?!お住まい?住所か?…大胆な聞き方するなぁ。ハハハ、……知りたいのか?」

なんてことを嘴ってしまったのだろう。体の前で両手を高速で振った。あ、いや、この期に及んで……何を訊いてしまったんだろう。…もう…。こんなの絶対変だ。

「あ、いや違います違います。滅相もないです。…住所ではなくてですね…、えっと…、あっ、そうです、実家暮らしとか、マンションとか…そういうような…意味で聞きました」

…ふぅ。住所…知りたいといえば知りたい。一人暮らしなのか同居してるのか、それだって、どういう意味だって顔してる。そうですよね、理解不能ですよね、こんなことをいきなりだなんて。
だいたいこの話は仕事に全然関係ないし、さっきの事務処理の文書にも掠りもしない。
仕事中だっていうのに…何をいきなり訊いているんだか…。

…。

そりゃあ、この沈黙になりますよね。どういう意図があるんだって…。
でも、今に限らず滅多にないチャンスがあるなら、何でもいいから、とにかく少しでも話す取っ掛かりが欲しかった。それだけなんです…。
それを……何の考えもなく咄嗟に出た言葉がお住まいはなんて。はぁ、何考えてるんだって呆れられたかな。そうですよね…戻ろう…。

「…マンションだが?」

「……え?」

答えてくれるとは思わなかった。

「マンションだ」

「あ、何だかすみませんでした。有難うございました」

頭を下げて逃げるようにしてデスクを離れた。

「あ、おい、藍原…」

…何だアイツ。…マンションだって知って…?何だってんだ?確認した書類も置いて行ってるし…。
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