あなたの「おやすみ」で眠りにつきたい。
「泣かせませんし、手放すつもりもありません」
上司相手に俺は強気に言い切った。
あり得ない。綾音を手放すなどできるものか。
一ヶ月ほど前に、綾音と想いが通じ合って、ようやく気持ちに蓋をすることなく、好きだと言えるようになったのに。
ブラック珈琲を一気に飲み干して、紙コップをグシャリと潰した。
「決意は固くても、どうにもならないときがある」
不意に、低い声を出した松山さんに目を向けると、彼は眉を潜めて、俺を見ていた。
温厚な彼がこんな表情をするときは、本当に良くないことが起こっているときだ。
「何かあるんですね」
「……俺と同時にもう一人、本社に帰ってくる奴がいる」
そのような人事異動は聞いていない。
今回話を聞いていたのは、松山さんが部長補佐として本社に戻ってくることと、マーケティング部の課長が松山さんの後任として静岡に移動になったというぐらいだ。
マーケティング部課長の後任は誰なのかはまだ発表されていない。
新たに入るポジションがあるとするなら、そこしかない。
松山さんの困ったような表情を見て、一人の人物が脳裏を掠めた。
まさか……。
俺の予想は当たりらしく、松山さんはため息をついてから、口を開いた。
「ああ、そうだよ。吉岡美麗(よしおかみれい)が帰ってくる」