あなたの「おやすみ」で眠りにつきたい。
「……戻ってこられたのですか?」
「ええ。移動命令が人事から下されてね。マーケティング部の課長をすることになったわ」
自慢げに声を上げて笑った、目の前の人。
まさか、自分がどうして移動になったか、忘れたんじゃないよな?
5年前の恨みを、こちらは忘れたわけじゃない。
別れることになった彼女にも、沢山傷つけて、本当に申し訳なかったのに。
「大阪支社は本当にいい勉強になったわ。だからあなたが、私を訴えたことに関して、少し感謝してる」
「……」
俺は鞄を持つ手をギュっと握りしめる。
湧き上がる怒りを、グッとこらえた。
……この人に悪気はない。
会社はきっと、いずれは本社に戻すつもりだったのだろう。
社長だって、娘にちょっと世界を広めさせるために、修行に出しただけなのだ。
「大阪で学んだこと、きっとマーケティングに活かせるわ。本当にありがとうね。井上くん」
……そして、きっと、ほとぼりが冷めれば、帰れることをこの人は知っていた。
だからだろうか。これほどまでに、生き生きしているのは。
「勝手にしてください」
何がともあれ、会社のために尽くしてくれるなら、どっちでもいい。
もう、俺には関わってくれるな。
「今からアポイントがあるので、もう行きますね」
ちょうど止まったエレベーターに乗り込む。
こんな女と一緒のエレベーターは嫌だ、とそそくさと扉を閉めようとすると、声だけが俺にぶつけられる。
「ああ、それからもう一つ。私は諦めていないから。拒絶されると、燃える体質なの!」
扉が閉まり、密室となったエレベーターの空気が重い。
彼女の宣戦布告が、俺にため息をつかせた。