あなたの「おやすみ」で眠りにつきたい。


珈琲を持ってリビングに戻ったら、彼はソファに座らず直接フローリングに座っていた。

その彼の指先が何かを弄んでいる。

「珈琲入りましたけど……何してるんですか?」

「いやつい目が入って……」

彼の手に握られていたのは、私が外して机に置きっぱなしだった結婚指輪だった。

用を無くした結婚指輪。
こんなことなら、買わなきゃよかった。

私がテーブルに珈琲を置くと、彼は静かにそれを一口飲んだ。
私は例によって、甘いミルクコーヒー。

「この指輪、必要なくなっちゃいました」

自虐ぎみに笑うけれど、頬の筋肉が動くことがない彼は一緒に笑ってくれない。

その代わり、彼はこの部屋を見回している。まだ家具ひとつ置いていない。
ベランダにはカーテンさえもかかっていないこの部屋を。

「この部屋で、一緒に暮らすはずだったのか?」

誰と、とは、訊くまでもない。

「はい」

私は手の中のミルクコーヒーを飲んだ。

季節は5月。夜の肌寒さは和らいだが、珈琲はホットにした。
これ以上体も心も冷やしたら、眠れないから。

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