偽りの姫は安らかな眠りを所望する
「だったら、就寝の挨拶をしてくれ」

「……おやすみなさいま、せ?」

ティアは戸惑いながらも要求に応えてみるが、首を横に振られてしまう。ではなんだというのか。ティアが眉根を寄せて困惑していると、フィリスは寂しげに、薄布を垂らす天蓋の一点を見つめる。

「ティアは母親に、どのようにしてもらっていた?」

「あたしが母に、ですか」

もう十年以上も前の記憶を紐解いてみれば、みるみるうちにティアの顔が赤くなる。親子の間では当然だと思ってしていたことが、相手を変えるだけでこれほど恥ずかしい行為になるとは。

「いや、それはちょっと、無理です」

未だ放してはもらえない手に視線を落として断ると、フィリスはあからさまに落胆のため息を吐き出した。

「そうか。ならば仕方がないな。……私はして貰った記憶がないから、一度くらいはと思ったのだが」

握られていた手が緩められ、するりと細い指がティアの手から抜けていく感覚が、ざわりと心まで撫でていったような気がして、反射的に自分の手に力が入っていた。

「申し訳ありませんでした。あたしなんかでお母様の代わりになるのなら。やります、やらせていただきますっ!」

ティアはもう片方の手も添えて自ら懇願する。するとフィリスが醸し出していたさっきまでの悲愴な雰囲気は忽然と消え去った。
反対に、周りの星々の輝きさえ霞めさせてしまう満月のように冴えきった笑みが、潤みかけていたティアの瞳に映る。

「ま、さか……?」

フィリスは顔を引きつらせたティアの手を自分の顔まで引き寄せて甲に口づけをすると、勝ち誇ったように微笑んだ。

「おやすみ、ティア」

ゆっくりと紫の瞳が瞼に隠れていく。完全に閉じた瞼を縁取る長い睫毛が期待に揺れているのがわかり、ティアは覚悟を決めた。
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