偽りの姫は安らかな眠りを所望する
「ですから、フィリス様はそんなことをなさらなくてもいいんです」

場所を入れ替わり、ティアは本来の目的を果たすべく用意を始める。まだ納得のいかない様子で渋々と差し出された片手を取った。

本音を言ってしまえば、自分からフィリスの手にこうして触れるのだって意識してしまう。施術中に自分の押し込めた想いが出てきてしまうのではないかと心配になる。ティアは今まで、『手』というものがこれほど感情を雄弁に語るものだとは思ってもいなかった。

徐々に血行が良くなり赤みを増す指の一本一本が愛おしい。そんな想いを悟られないよう、あくまでも淡々と仕事をしているふりを続ける。

「……私はなにもできないんだな」

ため息混じりの呟きがティアの手を止めさせた。目を瞬かせながら顔を上げると、睫毛が昏い陰を作る紫色の瞳とぶつかる。

「生き方を指図されたくないと豪語したくせに、いい年をして世の中のことを何も知らない。誰かの手を借りないとまともな生活も送れない。結局は皆を煩わせているだけではないか」

自嘲の乾いた笑いが力なく落とされ、堪らずにティアは施術中の彼の手を握っていた。今まで、ただ無気力に毎日を送ってきたフィリスの中に芽生えたものを逃がさないように。

「……そんなこと、ありませんよ。ここにいる皆さんは、フィリス様のお世話を煩わしいなんて思っていません」

ティアは心をも解すように施術を再開する。彼の中にある不安が少しでも軽くなればいい。それくらいしか、ティアにできることはないのだから。

「それは仕事だからだろう?」

フィリスの作る薄い笑いが寂しくなる。ただ仕事だと思っているだけなら、カーラはあれほどティアの調合する香茶の内容を気にかけはしないだろうし、モートン夫妻は彼の体調を考えた献立に頭を悩ますこともないはずだ。他の者たちだとて、それぞれにフィリスのことを思いやっていることは、この館に来て短いティアにも十分すぎるほど感じられる。
それが本人には届いていないのだろうか。
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