偽りの姫は安らかな眠りを所望する
* 迫られる選択
翌日。昨晩の宣言通り、フィリスは厨房にいた。当然、カーラなどは目を三角にして反対したのだが、肝心のバリーがおもしろがってしまったのである。
曰く、「自分の口に入るものが、どのようにして作られるのか知るのはいいことだ」と。

「明日はセオドールと畑に行ってみるといいですよ。採れたての野菜は格別ですから」

などと唆すと、デラまで調子に乗る。

「だったら、魚や鶏を捌いてみますか? フィリス様は猟に出られたことがありませんでしょう? 命を頂くことの大切さを知る良い機会になりますよ」

「それは興味深い」

まんざらでもない様子でフィリスは身を乗り出す。そんな三人のやり取りを横目に、ティアは自分に課せられた仕事をこなしていった。

時折、厨房の前を通りがかると、楽しそうな夫妻の笑い声と香ばしいいい匂いが漂ってきて、ティアの口元も自然に綻ぶ。子どもがいないというモートン夫妻には、その身分が王子だとわかっていても、フィリスは実の子のようなものなのだろう。

ティアの予想通り白皙の顔に白い粉をつけ、まあるく焼き上がったパンを得意気に見せるフィリスは、眩しいくらいに朗らかだった。

それぞれの立場を忘れ、焼きたてのパンに、収穫したばかりの野菜ととっておきの燻製を挟んだ昼食を青い空の下で囲めば、ほんの一時だけ、皆の心の中にあるこれからフィリスが進む道への不安が薄れていく。

こうした時を過ごせる時間はもう僅かしか残されていないことを、誰もが予感していながらも、それを口に出せないでいる。
偽りの真綿に包まれた、優しく穏やかな日々の終わりを告げる足音は、すぐそこまで近づいて来ていた。

「おや、皆さんお揃いで楽しそうですね」

青草を踏む音が止まり、輪の中心に影が落とされる。フィリスは深く息を吐き出すと、白い雲が薄く広がる空を仰ぐ。

「なにをしに来た、ラルド」

答えの分かりきっていることを訊ねたフィリスを、ラルドがゾクリとする冷たい視線で見下ろし、口角だけをつり上げる。

「お迎えに上がりました。フィリス王子」

彼は地面に片膝を着き、寸分の隙もないお辞儀で応えた。
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