偽りの姫は安らかな眠りを所望する
その夜のフィリスの様子はどこかよそよそしく。施術中も、眠気とは違うぼんやりとした目をしていた。

「終わりました。……フィリス様?」

香油を拭い、ほんのりと香る温かくなった手を離すと、フィリスはなにかを確かめるようにしばらく見つめている。ティアとしてはいつも通りにしたつもりだったが、彼の難しい顔が不安を呼ぶ。

「なにか気になるところでもありましたか?」

おずおずと声をかけてみれば、ぼうっとしていた瞳の焦点がようやく合う。小さく息を吐くと、フィリスは静かな笑みを向けた。

「いや、なんでもない。ありがとう、ティア。おやすみ」

寝台に横になり潜り込んだ掛布を引き上げ、くるりとティアに背を向けてしまう。今夜は就寝の挨拶は不要、という意思表示なのだろうか。
恥ずかしくてしかたがなかったはずなのに、いらないといわれてしまうと、不思議なことに落胆に似た感情がわいてくる。

ティアは少し乱れていた掛布の端を整え、フィリスの背中にゆっくりと頭を下げた。

「では失礼します。おやすみなさいませ」

小さな身動ぎだけが応えとなって返ってくる。窓を閉め灯りを落としている間もフィリスからの反応はなく、寝息さえも聞こえてこない。
扉を閉める前暗くなった室内へ、ティアはもう一度丁寧に頭を下げて退室した。


その翌日は、さすがにフィリスも厨房内をうろつくことはせず、かといってなにをするでもなく、館の内外を歩き回っていた。皆が忙しそうに働いているところに出くわすと、声をかけ手伝いを申し出ていたがことごとく断られていたようだ。

正午を過ぎて暇を持て余したのか、庭の木陰で地べたに座り込んで館を眺めていたフィリスを、連日の睡眠不足で眼を血走らせたコニーが見つけて引っ張っていく。
その鬼気迫る姿を呆気にとられて見送ろうとしたティアの前で止まった彼女は、「あとでお茶を持ってきて」とだけ言い残し、もはや無抵抗のフィリスと部屋へ入ってしまった。
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