偽りの姫は安らかな眠りを所望する
ティアは、モートン夫妻が作ってくれた昼食が詰まった籠を抱えて厩にいた。

「ほら、早く手を寄越せ」

愛馬の背から伸ばすフィリスの手を取るのを躊躇う。

「ダグラスさん、まだ馬はいますよね? ひとりで乗れますから」

助けを求めてダグラスを振り返ると、大きな両手を顔の前で左右に振る。

「悪いね。ほかの馬はみんな、明日からの長旅に備えて休ませてやりたいんだ」

すげなく断られて、ぎゅっと籠を胸に押し抱いた。

「じゃあ、あたしは歩いて行きま……きゃあ!」

グズグズとしていたティアをダグラスが軽々と持ち上げ、馬の背中にちょこんと乗せてしまう。身体をフィリスの腕に囲まれて固まったティアは、馬上から恨めしげな視線をダグラスに向けた。

「早くしないと、あっという間に日が暮れちまう。あっちでセオドールも待ってるんだ。さあ、行った」

ぽん、と馬の尻を叩いて歩みを促すと、自分はさっさと馬の世話に戻っていく。
規則正しい揺れに身を任せながら、ティアはそっとため息をついた。それをすかさず見咎めたフィリスが、不機嫌に口を曲げる。

「なんだ、不服がありそうだな」

真後ろにいる彼の声は、まるで耳元で囁かれたようにも聞こえてくすぐったい。ますますティアは小さく縮こまった。

「そんなにオレの腕が信用できないのか?」

「い、いえ。そういうわけではあり……ないけれど」

小さく咳払いをされて、ティアは口調をあらためる。今日のフィリスの出で立ちはというと、輝く髪はまとめて帽子の中にしまわれ、昨日の凜々しい王子姿とは打って変わっての軽装だ。

『王子のフィリスにではなく、フィルとしての自分に一日付き合って欲しい』

それが、昨日彼から望まれた誕生祝いだった。

明日の出立の準備で慌ただしい館から出ることを少々負い目に感じつつ、こうしてやって来たのだが――。

山盛りに食べ物の入った籠を落とさないように気を使いながら、馬の背に揺られるのはなかなか難しい。時に傾ぐティアの身体は、結果としてフィリスの腕に支えられる形になる。
そのうえ、呑気に話しかけてくる彼の息遣いを耳の真裏に感じるのだ。のっけからこの調子では、心臓が持たない。

ミスル湖の森にあるあの薔薇工房までの道程が、ティアにとっては先日の倍以上の距離にも思えた。
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