偽りの姫は安らかな眠りを所望する
ふたりを乗せた馬は木陰に繋がれ、たっぷりと水を与えられた。脚下にはおいしそうな草が食み放題。ゆっくりと休ませ疲れを取ってもらう。
その首を撫で労をねぎらいながら、自分も休ませてもらいたいと本気で願ってしまう。それくらい、ティアはここまでの短時間で心身共に疲労していた。

「ティア。どこか痛めたのか?」

凝り固まった身体をコキコキほぐしていると、心配そうなフィリスに声をかけられる。

「あ? ううん、平気。久しぶりに馬に乗ったからかな」

気恥ずかしさを笑ってごまかすと、彼は安堵の表情に戻った。

「じゃあ、行こう」

当然のように手を取られて指を絡められる。生い茂る草を踏みながら半歩先を歩くフィリスの嬉しそうな横顔と、彼の手から伝わる温かい熱が、ティアの肩に入っていた力みを取り去っていった。


一帯の木を伐採して空を拓いた場所に建つ温室の天井にはガラスがはめられており、そこから日の光がふんだんに注いでいたが、四方の窓を開け放ち風通しをよくしてあるため、この季節でも室内はそれほど暑くはなっていない。

時期をずらして栽培しているのか、まだ固い蕾を付けた薔薇の苗木もたくさんある。咲き始めの蕾に鼻を近付けると、酩酊しそうなほど濃い香りがした。思わず漏らしたため息に興味を持ったのか、フィリスも薔薇に顔を寄せる。

「……こんな匂いだったか?」

首を傾げてはいるが、その顔に以前のような不快感は表れてはいない。

「開きかけの花が一番香りが強いの。これを摘んで精製するのだけれど、やっぱり少し香りは変わってしまうわね」

花は、特に薔薇は生花の香りが一番好きだ。香りも植物同様に生きている気がする。

ティアは、再び薔薇の香気を胸一杯に吸い込んだ。うっとりと余韻にひたって瞼を開くと、目の前にフィリスの顔があって飛び退いた。
尻もちをつきそうになるティアの身体を支えながら、彼はおかしげに笑う。

「な、なに? びっくりするじゃない」

「薔薇を見ているティアを見ていた」

事もなげに言われてしまえば、それ以上文句を付けるわけにもいかなくなってしまった。
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