偽りの姫は安らかな眠りを所望する
「つっ!」

薔薇の棘が、目測を誤って翻したラルドの手のひらに赤い線を刻む。

「気をつけてください。この薔薇の棘は特に鋭いので」

セオドールがいまさらな注意を促し、手巾を差し出す。引ったくるように受け取ったラルドが、忌々しげに舌打ちをした。

「ここの薔薇は思い通りの花をつけないばかりか、反抗までしてくるんだな。黙って美しく咲いている方が遙かに楽だろうに」

つい漏れ出たらしい彼の本音に、セオドールが失笑を堪える。それがさらにラルドの機嫌を損なわせた。

「実は、この薔薇はなぜか接ぎ木では育たないんです。どんなに手をかけ肥料を与えても、接いだ場所から腐っていき、台木までをもダメにしてしまう。そのくせ移植には比較的上手く適合して、あまり土を選ばない。ちょっと変わり者のコたちなんですよ」

セオドールが愛おしげに、枝だけになった薔薇の根元に座り語りかける。それを面白くなさそうにラルドが鼻で笑った。

「こちらの望み通りに花を咲かせないなら、野に捨てるまでさ。役に立たないものを育てる趣味も余裕も、あいにくと持ち合わせていないからね」

ラルドは思い出したように外套のポケットに手を突っ込むと、水色の石を取り出す。手のひらの上でそれを数回転がしてから、湖に向かって放り投げてしまった。

「そうそう。あの館の誰かさんが破壊してしまった薔薇園。新しく作り直したいんだけど、頼んでもいいかな?」

「僕は……」

眉根を寄せるセオドールを無視して、丘を下り始めていたラルドが立ち止まり、不意に今来た道を振り返る。追いついたセオドール越しに、夏場とは打って変わって殺風景な丘を見上げた。

「実はあれ以来、陛下のお身体の具合が思わしくなくてね。父も隠居するし、僕も今までのようにこちらへ来ることもできなくなりそうなんだ。建物と庭、それから墓守。全部まとめて面倒見てくれる人材を、簡単に手放すわけにはいかないよ」

薔薇の枝が寒風に揺れている。枯れたようにも見えるあれらは、この厳しい冬を越し、やがて訪れる春には青々とした葉を茂らせる。そしてまた、芳しく香る美しい薔薇を咲かせてくれるはずだ。
だが、季節は巡るが、前年とまったく同じ花が咲くわけではない。新たな芽が吹き、新しくついた蕾が花開く。

「それに、来春には子どもが産まれるそうじゃないか。身重の新妻と放浪するわけにはいかないだろう?」

返ってきた応えは困ったような照れ笑い。そこに隠れ見えたすでに父親の顔に、ラルドはすべてが馬鹿らしくなって、止めていた足を再び動かす。

誰もが、それぞれの未来への道を進み始めていた。
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