偽りの姫は安らかな眠りを所望する
そうしていくつかの宝石を手放し得た金で、足取りがつかないよう慎重にサラン国内を移動しながら、安住の地を探すことができた。
ティアにとっては幼い頃に住んでいた国であるし、ダグラスも国境を接する土地の出身だということもあり、言葉にはそれほど不自由せずに済む。この土地に家を借り始め半年ほどになるが、明るく気さくな近所の人たち相手に、他愛もない冗談まで言い合えるようになったくらいだ。
旅をしながら作った香薬を売り、多少の収入を得る術も覚えた。
今では、少し離れた町の店の片隅に、商品として香薬や石鹸などを置かせてもらってもいる。時には、膝の調子が悪い老人や肌荒れに困っている婦人などが家を訪れ、施術を頼まれることもあった。
こうして徐々に新たな自分の居場所が作られていくことに安心感を覚える一方で、時折虚無感を伴う胸の痛みがティアを襲う。
手持ちの精油を片っ端から嗅いでみても、あの薔薇と同じ香りはない。せめて早くこの蕾が開いてくれたら。
抱えた膝に顔を埋めてため息をついたティアの元に、忘れたくても忘れられない香りと、すでに懐かしささえ覚えるクレトリア語の声が届いた。
「眠れなくて困っている。よく効く香りがこちらにあると聞いたのだが」
ティアの耳に残っているものよりも低い声が降ってきて、思わず立ち上がる。まさかという思いと、万に一つの可能性への期待に震える足で、ゆっくりと振り返った。
「ようやく見つけた。こんなにかかるとは思わなかったぞ」
初夏の日射しを受けて頭頂部に光の輪を作る髪の色も、眩しげに細めた目の中心にある紫の瞳も。間違いようがない。
「フィリス……様? 本当に?」
乾いて張り付く喉から出るティアの声が掠れる。思慕が見せた幻影にしては、記憶の中の彼とはかなり異なる点があった。
「か、髪が」
一番に目についてしまった違い。あの美しかった長い髪は、輝きはそのまますっきりと短くなっている。
変わったのは低くなった声や髪だけではない。最後に向かい合った時は僅かに上げる程度で重なったはずの視線が、今はずいぶんと顎を反らさないといけないほど背が伸びている。
儚げな美しさがあった容貌は精悍さが増し、体つきも見違えるようだ。
もうどこから見ても娘には間違えられないだろう。
「一年半以上ぶりに会って、最初に反応するところががそこか?」
拗ねて口を尖らせる様には、微かに以前の彼が垣間見えていた。
「本当に本当の、フィリス様なんですね?」
まだ夢を見ているようで身体がふわふわと落ち着かないのに、ティアの心臓だけが壊れそうなほど激しい鼓動を刻んでいる。おかげでこれが現実だと思えることができていた。
ティアにとっては幼い頃に住んでいた国であるし、ダグラスも国境を接する土地の出身だということもあり、言葉にはそれほど不自由せずに済む。この土地に家を借り始め半年ほどになるが、明るく気さくな近所の人たち相手に、他愛もない冗談まで言い合えるようになったくらいだ。
旅をしながら作った香薬を売り、多少の収入を得る術も覚えた。
今では、少し離れた町の店の片隅に、商品として香薬や石鹸などを置かせてもらってもいる。時には、膝の調子が悪い老人や肌荒れに困っている婦人などが家を訪れ、施術を頼まれることもあった。
こうして徐々に新たな自分の居場所が作られていくことに安心感を覚える一方で、時折虚無感を伴う胸の痛みがティアを襲う。
手持ちの精油を片っ端から嗅いでみても、あの薔薇と同じ香りはない。せめて早くこの蕾が開いてくれたら。
抱えた膝に顔を埋めてため息をついたティアの元に、忘れたくても忘れられない香りと、すでに懐かしささえ覚えるクレトリア語の声が届いた。
「眠れなくて困っている。よく効く香りがこちらにあると聞いたのだが」
ティアの耳に残っているものよりも低い声が降ってきて、思わず立ち上がる。まさかという思いと、万に一つの可能性への期待に震える足で、ゆっくりと振り返った。
「ようやく見つけた。こんなにかかるとは思わなかったぞ」
初夏の日射しを受けて頭頂部に光の輪を作る髪の色も、眩しげに細めた目の中心にある紫の瞳も。間違いようがない。
「フィリス……様? 本当に?」
乾いて張り付く喉から出るティアの声が掠れる。思慕が見せた幻影にしては、記憶の中の彼とはかなり異なる点があった。
「か、髪が」
一番に目についてしまった違い。あの美しかった長い髪は、輝きはそのまますっきりと短くなっている。
変わったのは低くなった声や髪だけではない。最後に向かい合った時は僅かに上げる程度で重なったはずの視線が、今はずいぶんと顎を反らさないといけないほど背が伸びている。
儚げな美しさがあった容貌は精悍さが増し、体つきも見違えるようだ。
もうどこから見ても娘には間違えられないだろう。
「一年半以上ぶりに会って、最初に反応するところががそこか?」
拗ねて口を尖らせる様には、微かに以前の彼が垣間見えていた。
「本当に本当の、フィリス様なんですね?」
まだ夢を見ているようで身体がふわふわと落ち着かないのに、ティアの心臓だけが壊れそうなほど激しい鼓動を刻んでいる。おかげでこれが現実だと思えることができていた。