偽りの姫は安らかな眠りを所望する
朱に染まるティアの両頬を、大きく温かい手が包み込む。

「ティアには母と同じように窮屈な思いをさせたくなくて、貰ったあの一日で諦めるつもりでいた。でも、やっぱり無理だ」

ゆっくりと重ねられた唇はとても熱く乾いていて、ティアが覚えているものとは違っていた。だがあの時よりずっと優しく触れられ、ほどなく離れた感触が惜しくなる自分に、ティアはまた顔を熱くする。

「一日では満足できない。これからのティアのすべてが欲しい。そのために、この手を空っぽにしてきた」

見据えられた揺るぎない瞳から、堪らずティアは目を逸らしてしまう。

「……あたしだけが、欲しいものばかりを手に入れてしまっていいのでしょうか」

ティアの頬に添えられる白くきめ細やかだったフィリスの手には小傷の痕があり、荒れが目立っていた。指先の爪には、薄らと土が入り込んでさえいる。
それらは王族として育った彼が市井に混じり、一年以上かけてティアを探していた証拠。

そうまでしてもらえる価値が自分にあるとは思えない。それなのに、フィリスは満足げに目尻を下げて口角を上げる。

「ティアが持ち切れるだけ、この想いを受け取ってくればいい。もし零したら、またいくらでも追加してやる」

ギュッと抱き締められると、ティアの踵が地面から宙に浮く。背中に回されたフィリスの腕の力が更に強まり、真剣な眼差しを間近で向けられる。心臓がドクンとひとつ大きく跳ねた。

「オレを不眠で死なせたくなかったら、ずっとこの手の中にいてくれ」

切実なようでいて甘やかな声の呟きが落とされ、ティアは緊張に固まっていた身体からため息と一緒に力を抜く。

「……ズルいです。あたしが断れないことをわかっていて言うんですから」

香薬師としても、彼を愛するひとりの女性としても。この手が氷のように冷たくなってしまうなど、ティアには絶対に耐えられない。
そろそろとフィリスの腰に腕を回して、自分も彼を捕まえる。

「覚悟してくださいね。香薬師は、採取したものは根っこから葉っぱの先まで全部使いますよ?」

「望むところだ」

笑顔で見合わせた顔は自然と近づいていく。ティアの唇を塞いだフィリスの口づけからは、甘く気高い薔薇の香りがいっそう濃く、深いところにまで伝わってきた。

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