偽りの姫は安らかな眠りを所望する
 * * *

フィリスは自室に戻ると、歩きながら服を脱ぎ捨てていく。
抜け殻のように置き去りにされた衣類が、床に道を作る。
すべての窓という窓にはカーテンが下ろされていて、まだ日は十分高いのに室内は薄暗い。

ふとフィリスの手が止まり目を眇める。視線を向けた先は部屋の奥、寝台の上。

「……何者?」

鋭く誰何すると、天蓋から下がる紗が風もないのにゆらりと揺れた。
薄布の向こうに人の影が表れる。

「そこでなにをしている。――ラルド。ヘルゼント伯爵家は、いつから泥棒を生業にするようになったんだ」

緊張を解いた声が部屋に響くと、ラルドは飄々と姿を現した。

「なに、とはつれないですね。もちろん、姫をお待ち申し上げていたんですよ」

「寝室で、か?」

フィリスは止めていた手を再び動かし始める。
ついに下着だけになった肩に、ラルドの手によってふさりとシャツがかけられた。

彼からくすりと笑みが零れる。

「いくら婚約者だからといって、まだ日の高いうちから目の前で半裸になられても目のやり場に困ります」

「半裸どころか、全裸だって見たくもないだろう? それに婚約の件は断ったはずだ。お前と結婚などできるわけがない」

フィリスは慣れた手つきで釦を留める。
つい先ほど――ティアがこの館に入ってくるまで身に付けていた服に着替え終わると、はあっと息を吐いた。

「さすがに、あの格好には無理が出始めてきたな」

扉から点々と続く、先ほどまで身に着けていた衣を忌々しい思いで見やる。
息苦しさから解放された胸で大きく息を吸い、立ち襟で隠されていた喉に手を添えた。
物理的な苦しさより、精神的苦痛の方が大きい。

「そんなことはありません。いまならまだ、この国一の美しい花嫁にして差し上げますよ。ああっと、すみません。二番でもよろしいですか?」

ラルドは窓辺に進むと、片っ端からカーテンと窓を開けていく。
差し込む陽光と吹き込んできた風にフィリスは顔をしかめ、避けるように手を翳した。

「一位でも二位でも、おまえの妻になるつもりはない。――が、私が二位とはな。どこぞの娘にでも入れ揚げているのか?」

意地悪く片方の口の端を吊り上げ、瞳に揶揄の色をにじませる。
長椅子に腰掛け、肘置きに頬杖をついたフィリスの露わになった細く白い首には、女性にしては不自然な突起が見てとれた。

フィリスの喉の不調の原因だ。

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