偽りの姫は安らかな眠りを所望する
王女のものとしてはずいぶんと質素なのではないだろうか。
そんな印象を、庶民のティアでさえ抱くほど中は空間がある。

一国の王女ともなれば、それこそこの広さの何倍もが豪華な衣裳で埋まっていてもおかしくはないだろう。

小さな灯りに照らし出された内部をぼんやりと眺めていた意識を、引き戻す。
暗闇に目を凝らし辺りを見回した。

数が少ないとは言っても、ひとつひとつの質は素晴らしいものだ。気をつけて燭台の灯りを翳して替えの掛布を探す。

目に付くほとんどは、衣類や装飾品ばかり。やはりここには置いていないのか、と諦め、踵を返したときだった。
ふわりと覚えのある甘い香りがティアの鼻に届く。

匂いを辿って奥まで入ると、隅に置かれた木箱をみつけた。
どうやら、布が被されたそこから発せられているもののようだ。
いけないことだとは思いつつ、ティアは好奇心を抑えきれずに手を伸ばす。

「……ティア?」

外側から訝かしげに呼ばれ、大きく肩を揺らして手を引っ込めた。大慌てで衣裳部屋から出て扉をしっかり閉める。
すると、あの香りも中に閉ざされた。

「こちらには予備がないようですね。いま、お持ちします」

ティアは罪悪感を隠すようにフィリスの部屋を飛び出し、保管室まで急ぐ。
途中で蝋燭の火が消えそうになって足を緩めたが、胸の音は夜の廊下に響くのではないかと思うほど大きく鳴っている。

着いた先で寝具が揃えて並べられた棚に寄りかかると、大きく息を吐き出した。
幾度か深呼吸を繰り返し息を整える。

フィリスから微かに漂っていたものは、あそこから衣類に移ったためなのだろう。
あれほど嫌っている薔薇の香りを、扉越しとはいえ自室の片隅に置いておくのはどういうことなのか。

疑問しか湧いてこない頭を切り換える。たかが使用人の自分に、主の詮索など許されない。
こんなことでは、また失敗を繰り返してしまいそうだった。

洗濯済みの掛布を見つけると胸に抱えて、急いでフィリスの部屋へと引き返す。
扉の前から控え目に声をかけても、フィリスからの返答がない。まさか不在というわけではないだろう。
静かに扉を開け、仄暗い室内へと戻る。

「失礼いたします。……姫様?」

足音を忍ばせて寝台に近づくと、油に汚れた掛布を身体に巻き付けて寝息を立てているフィリスの姿があった。

両手でぎゅっと布の端を握っているせいで、先ほどティアが塗った油はほとんど掛布に移ってしまったようだ。
手を拭こうにも、掛布を取り替えようにも、このままではどうしようもできない。

だが、穏やかな顔で寝入るフィリスを見れば、作業のために起こしてしまうことは躊躇われた。

明日の朝、一番でお部屋に伺おう。
ティアはそう決めて、可能な範囲の片付けだけを終わらせ王女の部屋を後にすることにした。

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