偽りの姫は安らかな眠りを所望する
* * *

ガラガラと音を立てる車輪がときおり小石に乗り上げ、車体ごと身体が跳ねる。
決して乗り心地がよいとは言えないが、伯爵邸までの距離を考えれば荷馬車を借りられたことは幸運だった。

馬に直接乗った方が速いだろうが、それではたいした量の荷物を運べない。
今回のように、度々休みをもらうわけには行かないのだ。当分は戻らなくてもいいくらい持ち出そうと、ティアは考えていた。

夏の陽差しを受け、キラキラと光る湖面を遠目で眺める。
水鳥たちが気持ちよさそうに水浴びをしていて、その飛沫がまた眩しく煌めく。

ふと、遠くの湖岸で水面とは違うものが光ったような気がした。
目を凝らして確認しようとしたけれど、馬車はそんなティアの意志とは無関係に、どんどん進んでいく。

わざわざ停めてまで確かめるほどのものでもないだろう。そう思い直し前を向いた。

やがて湖は遥か後方へと遠ざかり、左右は単調な田舎の風景が続く。
白薔薇館に来てまだひと月と経っていないのに、夏草の匂いがいっそう濃くなったこの道を通ったのが、ずいぶん以前のような気がしていた。

「それにしても、デラさんの腰がたいしたことなくてよかったわ」

大慌てで向かった厨房で、いつものように竈の前にいたデラを見たときはホッと胸をなで下ろす。
ティアが腰痛を心配して尋ねると、「あ? ああ! あたたた……」としゃがみ込んでしまったので肝を冷やしたが、すぐに彼女はピンッと立ち上がった。

「この歳になると、どこかしらにガタがきちゃってね。なに、ティアが気にするほどのことじゃないよ」

ガハハと豪快な笑い声を上げて、また仕事に戻る。
おかげで朝食の支度を終えてすぐ、白薔薇館を出立することができた。
おまけに途中で食べるようにと焼き菓子まで持たされてしまい、ひたすらティアは恐縮してしまう。

帰ったら、いままでよりもっと頑張らなくては……。
そう思えた自分に少し驚いた。ティアにとってあの館はもう、『帰る』場所なんだと。
無意識のうちに頬が緩んでいく。

新たな主人となったフィリスにはまだわからないことが多く、ときおり戸惑うこともあるが、この二日間でずいぶんと距離を縮められたような気がする。……あくまでも、ティアの主観だが。

主と使用人というどうしても取り払うことのできない境界線はあるが、それでもフィリスのことを理解し役に立ちたい。

せめて、あの薄暗い部屋のカーテンと窓を開けさせてもらえたら。もっと明るい陽の下に出てきてくだされば。
あんな空気の籠もった場所にいるより、外の清々しい香りを胸一杯に吸い込んでほしい。
そうすればきっと、心身共に健やかになられるだろう。

ティアがフィリスに抱く望みは尽きなかった。

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