偽りの姫は安らかな眠りを所望する
「そこで高みの見物をしていないで、この理解力に乏しい娘に説明してやれ。このままでは、いずれ知恵熱を出すぞ。――ラルド」

「ラルド様っ!?」

ティアは思わぬ名を聞いて、弾かれたように首を巡らす。
すると、建て付けの悪い戸に寄りかかるようにして笑みを浮かべるラルドの姿があった。

「申し訳ありません。ウチのティアは、素直だから思い込みが激しくって」

「……どうして、ラルド様がここに?」

こう度々領地に戻ってこられるほど、王都での仕事は暇なのだろうか。
ここに来て以来ほとんど屋敷の敷地から出たことのないティアには、政治のことはまったくわからないが、それでも心配になってしまう。

「そりゃあ、かわいいティアと愛しい婚約者殿に会うために、わざわざ時間を作ったに決まっているじゃないか」

「婚約者っ!?」

「……話を余計にややこしくするな、ラルド」

頭を抱えてため息を吐き出すフィリスを、ティアは複雑な表情で見つめる。

あんなに何度も似ていると思ったのに、どうして気がつかなかったのか。
不思議に思うと同時に、香薬師として恥ずかしくなる。先ほどフィリスに指摘された通り、本当に観察力不足だ。

ガックリと項垂れるティアを、クスリとラルドが嗤う。

「話をするのは構わないのですが、王女殿下に、いつまでもこのような場所にお留まりいただくわけには参りませんからね。姫君にご満足いただけるほどのおもてなしはできませんが、拙宅まで足をお運び願えませんでしょうか?」

胸に手を当て優雅にお辞儀をするが、慇懃すぎて胡散臭い。
ふんと鼻を鳴らしたフィリスが落ちた紐を拾い手早く髪を括ると、頭を横に振った。

「用は済んだ。私は館に戻る」

「あー、でも姫……」

戸口に向かったフィリスを引き留めようとかけたラルドの声に、遠雷が重なる。
いつの間にか窓の外は薄暗く、あれほど青かった夏空は鉛色の雲に覆われ始めていた。

「ほら。今お帰りになると、絶対に途中で降られますよ」

窓から生温い風が吹き込んで、彼らの髪を、頬を、ざわりと撫でていく。
まだ遠い雷鳴が、ティアの心を落ち着かなくさせていった。
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