偽りの姫は安らかな眠りを所望する
汚れた靴で歩くのが躊躇われるほどピカピカに磨かれた廊下を、泥を落とさないよう慎重に進む。
足もとにばかり集中していたせいで、ティアは自分がどこへ案内されたのか気がつくまでに少し時間がかかってしまった。

「ここって……」

重たい音を立てて開かれた扉の向こうは、埃まみれの己とはあきらかに不釣り合いな客室。
無意識に一歩出してしまった足を、思わず引っ込めてしまう。

「早くお入りなさい。まずはその汚れを落とさなくては」

入口で二の足を踏んでいるティアの手を取り、困惑気な表情を浮かべる彼女をシーラが室内へ導く。
そこはフィリスの私室にも勝るとも劣らぬ調度で揃えられており、貴賓を宿泊させるための部屋だと一目見ただけでもわかる。

「シーラさん。部屋を間違えているんじゃないですか?」

「そんなはずはないでしょう? さあ、早く服をお脱ぎなさい」

シーラは湯浴みの支度を調えると、呆気にとられて立ち尽くしているティアの衣服に手をかけようしたので、慌てて飛び退いた。

「じ、自分でできますっ!」

たしかに、馬車で長距離を移動したうえ、夏の昼日中に小屋の中でバタバタと作業をしていたのだ。全身が汗と埃で汚れていることには違いない。

それでも、いくら同性とはいえどもシーラの前で無防備に裸になるには、羞恥心が勝る。
背を向けもじもじと身体を清めていたら、ザバリと頭から湯をかけられた。
滴る水滴にブルブルと頭を振ると、シーラがゴシゴシと粗布で背中を擦り始める。

「そんな調子では、晩餐までに支度が間に合いませんよ」

「痛っ! シーラさん、ちょっと痛いです」

ティアの抗議をものともせずに、シーラは背中のみならず、頭のてっぺんからつま先までを念入りに洗っていった。

全身を湯の熱と摩擦でほんのり赤く染めたティアが息をつく暇もなく、今度は全身を丁寧に拭かれる。
このころにはすでに、彼女はされるがままにシーラに身を任せている。どんなに抵抗しても最終的には従わざるを得ないのは、白薔薇館へ向かう前に受けた作法の特訓のときに十分思い知らされていた。

だが、着るようにと渡された服にはさすがに受け取る手を出せない。

「このようなもの、着られません」

「着方がわからない? ならば、手伝いましょう」

背中で下着の紐を締め終えたシーラが広げた服は、淡い空色で滑らかな絹の手触りがする。
繊細なレースも随所にあしらわれ、贅を尽くしたものだ。荒れたティアの手で触れるのさえ申し訳ない気がする。


だた、コニーがフィリスに仕立てた服たちに比べると、些か古めかしい意匠のようにも見えた。

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