偽りの姫は安らかな眠りを所望する
「おや。僕の悪口かい?」

突然降ってきた声にふたりが驚いて扉の方を向くと、旅装から着替えたラルドがゆっくりと歩み寄ってきていた。

「ラルド様! 女性の部屋に無断でお入りになるとは何事です?」

シーラも姉同様、主人にさえ忠言は厭わないようだ。紳士にあるまじき行為に、毅然として抗議する。

「ちゃんと声をかけたよ。話に夢中で気づかなかったのはそっちじゃないの? それに雨音もうるさいしね」

悪びれもせず答えるラルドの言葉でティアが窓へと視線を移すと、真っ暗な空から落ちる大粒の雨が、殴りつけるように窓ガラスを叩いていた。
雷鳴もかなり近くまで迫ってきている。

「この調子じゃあ、今日は館に戻れそうもないよ。良い機会だ。ゆっくりしていくといい」

ティアの前まで来たラルドの目が一瞬大きく見開かれてから緩やかな弧を描く。
一拍後、節の目立つ大きな手が恭しく差し出された。

「夕餉の支度ができたらしい。――お手をどうぞ。麗しいお嬢様」

素直にその手を取っていいのか迷っていると、彼は有無を言わさずティアの手を持ち上げ起立を促す。
脚をすっぽりと覆う長い裾に注意を払いながら立ち上がると、サラサラと耳に心地好い衣擦れの音がする。

ティアの全身に視線を這わせたラルドが、満足そうにひとつ頷いた。

「やっぱり。よく似合うと思ったよ」

「あ、あの、ラルド様? これはいったいどうして……」

訳も分らずに従っていたが、なぜ自分がこんなに飾り立てられているのかはいまだに不明のままだ。
だがラルドは、彼女の疑問を微笑で躱して、自分の腕に手をかけさせた。

「面倒な話は後にしよう。時間はたっぷりあるからね。まずは腹ごしらえだ。……お腹、空いているだろう?」

言われて空腹を思い出す。だが、こんなに締め付けられた身体で食事などできるのだろうか。
世の貴婦人方の苦労を慮りながら、ティアはラルドの腕に引かれて部屋を後にした。

< 59 / 198 >

この作品をシェア

pagetop