偽りの姫は安らかな眠りを所望する
食堂に着くと、彼が椅子の一脚を引く。ここに座れということなのだろう。
おっかなびっくりに腰を掛けたところで、家令に先導されたフィリスが到着する。
彼はふたりに気づいて足を止めた。

「ティア、か?」

見違えた彼女の姿に、彼もまた目を瞠っている。
フィリスもすっかり身支度を整えられ、その姿はどこから見ても貴公子然としており、もうどこにも“姫”の面影はない。
身に着けている衣服が少し大きく思えるのは、ラルドのものを借りているか。手の甲にかかる袖口を、鬱陶しそうに眉をひそめ捲り上げていた。

たったいま座った椅子から立ち上がろうとしたティアは、片手で制される。

「腹が減った。早くしてくれ」

引かれた主賓席の椅子にストンと座ると、横柄に言い放つ。
ちらりとティアに視線を寄越してきたが、すぐにぷいっと逸らされてしまった。

ラルドやシーラは褒めてくれたけれど、やっぱり自分がこんな格好をしてもおかしなだけなのだろうか。
ほんの少しだけ浮かれていた自分が恥ずかしくなり下を向いてしまったティアを勘違いしたのか、ラルドがぽんっと肩に手を乗せ、背もたれの後ろから顔を覗きこんできた。
薄く香油を塗られた首筋にラルドの端麗な顔が寄せられ、ティアの頬が赤みを帯びていく。

「食事の作法を心配しているのなら、気にしないで。そうだ! これからのためにも、僕が教えながら食べようか」

「これから? ……お作法っ!!」

白薔薇館へ向かう前に、基本的なことをひと通りシーラから教わっているティアだったが、もちろんそれは給仕を行う立場としてのもの。
見ているのと実際にするのでは大きく違う。そのうえ付け焼き刃の知識はほとんど身についていない。

熱の集まっていた顔から一気に血の気が引いていくが、フィリスの希望通り晩餐は始められてしまう。

「大丈夫。今日は美味しく食べることに専念しよう。追い追い覚えてくれれば構わないから」

隣に並ぶ自分のまねをするようにと声をかけたラルドは、上品に料理を口に運ぶ。
見様見真似でどうにか食事を進めるティアだったが、急ごしらえのはずなのに盛りだくさんの献立も、服を汚さないようにという緊張と固められた胴体のせいで、味わう余裕などはまったく生まれない。

ただひたすらに口から胃に流しこみ、膨らんだ腹で呼吸をすることさえ苦しくなっただけだった。

< 60 / 198 >

この作品をシェア

pagetop