偽りの姫は安らかな眠りを所望する
 * * *

王都にあるヘルゼント伯爵の邸宅で、当主オルトンは執務室の机で頭を抱えていた。

どうしてこのような事態になったのか。いくら考えても答えは出ない。

娘がギルバート王の後宮に入る予定の日まで、あとひと月を切っている。
だが、本来ならここで万全の準備をしながらその日を待つはずの肝心の娘の姿はない。

このままでは、確実にブランドル家に後れを取ることになってしまう。両家の間にある危うい均衡が崩れることは、ヘルゼント家にとって致命的だ。

いや、それよりも……。
焦燥に駆られ、あまり強くもない酒を呷る。そうでもしないと、オルトンは我を忘れ発狂してしまいそうだった。

「旦那様。よろしいでしょうか」

執事が遠慮がちに声をかける。不機嫌に応じ入室を許すと、生真面目な彼は机の上に置かれた酒瓶に眉根を寄せた。

「差し出た口をお許しください。あまりご無理をされない方が……」

「こんな状況で、素面でなどいられるものか。それよりなんのようだ?」

忠告を無視して空になった器を再び酒で満たそうとする。

「旦那様にお客様でございます」

オルトンは、注ぐ手をピタリと止め怪訝な顔を上げた。

「客? こんな夜更けにか」

城からの急使だろうか。珍しく言い淀む執事を促す。

「それが……。ロザリー様なのです、ベイズ家の」

予想外の名を告げられ、勢いよく立ち上がったオルトンの足下が酔いでぐらりと揺れた。支えの手を伸ばそうとした執事を断り、客を応接間へ通すように命じる。

一礼の後退室していった彼の背中を見送ると、オルトンは水差しに直接口を当てて、胃に冷水をたっぷりと流しこんだ。

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