偽りの姫は安らかな眠りを所望する
 *

ベイズ家は爵位こそ持たないが、古くから続くミスル湖一帯を治める領主の家柄である。
比較的温暖な気候で育まれる豊かな作物で領内は潤い、穏やかな一家は領民にも慕われ、平穏な暮らしを送っていた。

だが、それまで無難に領地を治めていたロザリーの父は、突然、取り憑かれたように散財を始める。
ミスル湖畔で偶然みつけた一輪の薔薇の花によって、彼らの暮らしは一変した。

ベイズ氏はその薔薇の育成と品種改良に財を注ぎ込み、それまでの慎ましやかな生活で蓄えていたものが底をついても、借金までして没頭する。

周囲がどんなに諫めても聞き入れることはせず、そんな彼からは次第に人が離れていったのも無理はない。
もちろん、ロザリーも夫人も涙を流して改心するように説得を重ねたが、人が変わったように気性の激しくなったベイズ氏にはとうてい聞き入れてはもらえずにいた。

そんな彼女たちの心身が、疲労の限界を迎えていたある日。
ロザリー夫人はしとしとと冷たい雨が降りしきる中、渋る夫を誘い、久しぶりに招かれた近隣の富豪が開く晩餐会へと向かった。

その帰り道。夫妻を乗せた馬車は泥濘んだ道に車輪を滑らせ、崖からミスル湖に転落してしまう。

馭者は命からがら冷たい湖を泳ぎ湖岸へと辿り着いたが、ロザリーの父母は馬車と馬ごと昏い湖の底に沈んだまま、二度と上がっては来なかった。

一度に両親を亡くし、幼い弟とふたりきりで遺されたロザリーは、執拗に迫られる借金返済のために家中のありとあらゆるものを売り払う。
それでも利子の足しにしかならず、爪に火を灯すような日々を送りながら、どうにか生活を続けていた。

そんな彼女にさらなる追討ちがかけられる。

辛うじて手許に残してあった宝飾品を、根こそぎ家人に盗られたのだ。
その中には亡き母の形見も含まれていたことが、ロザリーをどん底に突き落とした。

いままでの恩を感じて僅かに残っていてくれた使用人たちもほとんどが去った屋敷の中で、姉弟は身を寄せ合って途方に暮れる。
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