偽りの姫は安らかな眠りを所望する
この屋敷の厨房の場所は、毎日のように摘みたての香草を届けていたので知っている。
だがいつもとはまったく違う方向からだったので、危うく迷いかけてしまった。
やっと見慣れた場所に辿り着くと、出入り口で調理長のジェフリーと会った。
何事も自分の目で見ないと気が済まない調理長自らが、後片付けと明日の仕込みの確認を終わらせて出てきたところらしい。
「こんばんは、ジェフリーさん」
「……ん? おや、どこのお嬢さんかと思ったら、ティアじゃないか。そういえば、戻ってきていたんだったな」
白薔薇館のモートン夫妻とは真逆の細身で神経質そうな目が一見取っ付き難い印象を与えるが、今日の晩餐を見てもわかる通り、繊細な味付けと盛り付けを得意とする腕利きだ。
質のよい香草を育てていたマールとティアには、肉の切れ端を分けてくれたりする気前のよいところもある。
「お茶を淹れたいんです。少し香草を分けてもらってもいいですか?」
「ああ、あまり種類はないがな。マール婆さんとあんたがいなくなってから、なかなかいい品が手に入らなくって
困るよ。あ、いや。ヘンリーの畑の世話が悪いって言うわけじゃなくってだな……」
気まずげにしどろもどろになるジェフリーに、ティアは頷く。
「わかってます。忙しいヘンリーさんでは野生の香草にまでは手が回らないですもんね。それに、乾燥したものの在庫もそろそろ足りなくなるんじゃないですか?」
「そう! その通りなんだ。やっぱりあんたたちが持ってきてくれたものを使わないと、思うような味にならなくて困る」
人一倍こだわりの強い調理人は、心底から困ったようにため息を吐いた。
「今度、必要なものを教えてください。揃えてからお届けします。お祖母ちゃんのものには敵わないと思いますけど」
「まさか! そんなことはない。ぜひ頼むよ」
細い眼をさらに細めて喜ばれると、ティアも嬉しくなる。
「置いてあるものは好きに使っていい。その代わり、火の始末だけはきちんとするように」
ジェフリーは言い置いて去っていった。
料理に使われる香草は、風味付けや匂い消しなどに使われるものが多い。
棚に並ぶ幾種類もの瓶や壷の、几帳面に揃えられた表示を見たティアは少し悩む。しっくりいかない在庫に首を捻ってから、晩餐で出された献立を思い出して辺りを見回した。
「よかった。残っていたわ」
隅に置かれた籠の中に緑色のバジルの葉をみつけた。手に取ると少し萎れかけているが、この際贅沢は言えない。それに、爽やかでほんの少し刺激を感じる芳香はちゃんと残っていた。
お湯を沸かしている間に茶器を用意する。眠る前だから、ちょっとだけ蜂蜜を入れよう。
いつもの夜と同じように香茶の準備を始めてしまえば、ごちゃごちゃとした複雑な感情は不思議と薄れていった。
だがいつもとはまったく違う方向からだったので、危うく迷いかけてしまった。
やっと見慣れた場所に辿り着くと、出入り口で調理長のジェフリーと会った。
何事も自分の目で見ないと気が済まない調理長自らが、後片付けと明日の仕込みの確認を終わらせて出てきたところらしい。
「こんばんは、ジェフリーさん」
「……ん? おや、どこのお嬢さんかと思ったら、ティアじゃないか。そういえば、戻ってきていたんだったな」
白薔薇館のモートン夫妻とは真逆の細身で神経質そうな目が一見取っ付き難い印象を与えるが、今日の晩餐を見てもわかる通り、繊細な味付けと盛り付けを得意とする腕利きだ。
質のよい香草を育てていたマールとティアには、肉の切れ端を分けてくれたりする気前のよいところもある。
「お茶を淹れたいんです。少し香草を分けてもらってもいいですか?」
「ああ、あまり種類はないがな。マール婆さんとあんたがいなくなってから、なかなかいい品が手に入らなくって
困るよ。あ、いや。ヘンリーの畑の世話が悪いって言うわけじゃなくってだな……」
気まずげにしどろもどろになるジェフリーに、ティアは頷く。
「わかってます。忙しいヘンリーさんでは野生の香草にまでは手が回らないですもんね。それに、乾燥したものの在庫もそろそろ足りなくなるんじゃないですか?」
「そう! その通りなんだ。やっぱりあんたたちが持ってきてくれたものを使わないと、思うような味にならなくて困る」
人一倍こだわりの強い調理人は、心底から困ったようにため息を吐いた。
「今度、必要なものを教えてください。揃えてからお届けします。お祖母ちゃんのものには敵わないと思いますけど」
「まさか! そんなことはない。ぜひ頼むよ」
細い眼をさらに細めて喜ばれると、ティアも嬉しくなる。
「置いてあるものは好きに使っていい。その代わり、火の始末だけはきちんとするように」
ジェフリーは言い置いて去っていった。
料理に使われる香草は、風味付けや匂い消しなどに使われるものが多い。
棚に並ぶ幾種類もの瓶や壷の、几帳面に揃えられた表示を見たティアは少し悩む。しっくりいかない在庫に首を捻ってから、晩餐で出された献立を思い出して辺りを見回した。
「よかった。残っていたわ」
隅に置かれた籠の中に緑色のバジルの葉をみつけた。手に取ると少し萎れかけているが、この際贅沢は言えない。それに、爽やかでほんの少し刺激を感じる芳香はちゃんと残っていた。
お湯を沸かしている間に茶器を用意する。眠る前だから、ちょっとだけ蜂蜜を入れよう。
いつもの夜と同じように香茶の準備を始めてしまえば、ごちゃごちゃとした複雑な感情は不思議と薄れていった。