偽りの姫は安らかな眠りを所望する
少しだけ見上げる位置に掲げられた絵は家族の肖像画。

背筋を伸ばして威厳に満ちた面持ちで正面を見据えているのは、ティアが知っているより若いヘルゼント伯爵だ。
彼の前に緊張の残る顔で、幼い子どもが立っている。夏空色の澄んだ瞳と柔らかそうな栗色の髪からするとラルドだろう。
椅子に腰掛け気品のある微笑みを湛えている美しい婦人は、伯爵夫人のエレノア。ティアがこの屋敷に来たときにはすでに故人だった。

その後ろで春の陽差しのように暖かな笑顔を向けている、さっきまでティアが身に着けていたものと同じ水色の衣裳や宝飾品を纏う娘は……。

「母さ、ん……?」

ティアの記憶にある母親の顔よりは幾分若く見えるが間違いない。

「彼女が僕の姉、ルエラだよ」

「母さんが……ラルド様の、お姉様?」

ティアは、絵の中のルエラと横に立つラルドの顔を交互に何度も見比べた。
瞳も髪の色もティアの母親の方がやや薄い。だがエレノア伯爵夫人を間に挟むと、たしかにそこには血の繋がりがあることがわかる。

そして、まだ十代後半とみられるルエラの面差しは、今のティアによく似ていて……。

「僕の母は気位の高い人だった。王族の血が流れる自分は、いずれどこかの国の王室に嫁ぐものだと勝手に信じ込んでいたらしい。それなのに伯爵家……父に嫁したのがよほど屈辱だったんだろうね。しかもその夫は仕事にかまけてばかりで、蝶よ花よと育てられた自分をぞんざいに扱うし」

肖像画の母親へ蔑むような目を向ける。ティアは、初めて見る彼の瞳の冷たさに息を呑んだ。

「そのうえ、姉の後もなかなか跡継ぎとなる男子を産めなくて、ずいぶんと自尊心を傷つけられたらしい。十年以上経ってようやく僕ができ、様々な束縛から解放された気になったんだろう。彼女は息子に対する育児の一切を放棄したんだ」

「えっ? じゃあ……」

母親に育てられなければ、子どもはどうしろというか。
当然のようにティアが抱く疑問も、ラルドたちの住む世界ではそれほど珍しいことではない。ついさっきもそんな例を聞いたばかりではないか。
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