叶わぬ恋ほど忘れ難い
店長が店を離れ、わたしが仕事を辞めるまで一週間となり、新しい店長がやって来た。
笠原さんという女性社員で、店長が言ったように厳しい人のようだった。
笠原さんは早速、エプロンの上にカーディガンやパーカーを着ることと、そこに缶バッジやストラップをつけることを禁止し、長い髪は結ぶように指示した。ピアスも濃い化粧も禁止。つけまつ毛を付けた池田さんは化粧を薄くするように言われ、すっぴんでぷるぷるの肌をした跡部さんは化粧をするように言われた。極太眉毛がチャームポイントだった金本くんは、眉を整えろと言われ硬直。なにもそこまでしなくてもと思いつつ、みんな笑いを堪えるのに必死だった。
初日の勤務が終わる頃、絵里子さんとわたしだけが笠原さんの元に呼ばれた。何事だろうと絵里子さんと顔を見合わせると。
「千葉さんと崎田さん、あなたたち今月いっぱいで退職するそうね」
絵里子さんの退職は初耳だった。笠原さんは深いため息をついてわたしたちを見上げる。
「仕事を辞めるってことはもうやる気がないってことよね。私の店にやる気がない人はいらないから。今日いっぱいで辞めてちょうだい。シフトは私がなんとかするから。お疲れ様」
呆然。そんな言葉がよく似合う瞬間だった。
わたしは良い。あと数時間ある。でも絵里子さんは朝番だから、今日の勤務はもう終わってしまっている。感慨深くレジを打つことも、スタッフと別れの言葉を交わす時間もないなんて。そんな終わり方はひどすぎる。
それでも絵里子さんは深々と頭を下げ「お疲れ様でした」と言った。
最後の数時間は、買い取ったゲームソフトの商品化をして過ごした。ケースからディスクを抜き取り、品番を書いた袋に入れ、その番号順に棚に入れていく。最後にしては地味な仕事だけれど、こういう作業は何も考えずに没頭できるから好きだ。
そうしていたら店長が、申し訳なさそうな顔でやって来た。
「千葉さんに聞いた。今日までになったって」
「ああ、はい。そういうことになりました。今までありがとうございました」
頭を下げるとそこに店長の手が乗せられ、顔を上げることができない。
「ごめんな」
店長の力ない声が聞こえた。
「もっと長く、一緒に働きたかった」
わたしもです。言おうと思ったけどやめて、唇を噛みしめた。手に持ったゲームのディスクをぎゅうっと抱きしめ、頭から手が退けられるのを待ったけれど、頭が軽くなっても、顔を上げることができなかった。泣き顔を見られたくなかったからだ。
少しして店内の音楽は蛍の光に切り替わり、武田さんたちが閉店作業を始める音が聞こえた。それに耳を傾けながら、わたしはひたすら、店長のスニーカーを見つめていた。
月が替わってすぐ、店長と絵里子さん、そしてわたしの送別会が開かれた。
その中に笠原さんと須田さんの姿はない。ふたりが遅番の日を見計らって開かれた会だと、あずみんが教えてくれた。
店長は武田さんたち男性スタッフと左、絵里子さんは朝番のみんなと真ん中、わたしはあずみんやいずみんたちと右端のテーブルについた。
「辞めないでって言ったよ」
あずみんはずっと不貞腐れた表情だった。
「ん、ごめんね」
「嘘つき」
「まあまあ。邑子の嘘もレアだよ、あずみん」
そんなことはない。わたしはずっと嘘をついてきた。店長への気持ちを隠し続けてきた。大嘘つきだ。
「また飲みにいこ」
「同い年トリオでね」
「邑子、運転よろしく」
「それわたしだけ飲めないよね」
「あずみん免許とろ」
「やだ、無理、こわい」
三人で笑って、ソフトドリンクが入ったグラスをぶつけた。
その日は店長と会える最後の日なのに、言葉を交わしたのは別れ際、お疲れ様でした、の一言だけだった。
店長は何か言いたげにわたしの名を呼んだけれど、少し考え首を横に振ったから、わたしも頭を下げて、踵を返した。
こうして、わたしの叶わぬ恋は、終わりを告げた。