恋は人を変えるという(短編集)
話し終えると、彼女は眉根を寄せて、ううううん、と悩ましい声をだしていた。
「下駄箱に、鹿……?」
どうやら僕が入れた紙のことなんてすっかり忘れてしまっているらしい。
「二時間かけて書いたのに、意味なかったか……」
「わ、ごめん、違うの、卒業式の日はやたら荷物が多くて」
「卒業前に持ち帰らなかったの?」
「持って帰ったよう。でも友だちや後輩たちからプレゼントもらって。花とか色紙とかおもちゃとか。あと部活で書いた小説をわざわざ本にまとめてくれたり。それを全部袋に入れて」
説明の途中、彼女は突然言葉を切り、切った口のまま僕を見つめた。
「思い出した。文芸部誌の間に紙が挟まってた。意味不明な落書きとかメッセージとかもたくさんあったから、それも後輩たちの仕業だって思ってたけど、まさかそれが……」
「ん、俺」
「言ってくれれば良かったのに」
「笹井さんこそ。言ってくれれば良かったのに」
「だって、会話するほど仲良くなかったし」
「若くて、馬鹿だったね」
「そうだね、ほんと、馬鹿だった」
ようやく彼女が笑う。僕も安心して笑って息を吐いた。八年温めたこの話ができて良かった。高校野球観戦の連絡をもらうまですっかり忘れていた出来事だったのに、彼女に話したことで身体が軽くなった。そのお陰でこの八年、どれだけ身体が重かったのか気付くことができた。
「じゃあ今度はわたしの番ね」
安心しきった僕に、彼女が言う。
「なに?」
「わたしがどうしてあんな落書きをしたか」
「うん」
「小林くんの予想通り、馬鹿の馬だったんだけど。あれは、わたしを選ばずに岡崎さんを選ぶなんて馬鹿だなあって意味」
「え?」
「そして岡崎さんのことを知らせるための暗号なんかじゃなく、あれはただの憂さ晴らし。むしゃくしゃしてやっただけ」
やっぱり自供した犯人のようなことを言って、彼女は目を細めた。
「一年生の時、小林くんのことが好きだった。好きだけど会話なんてほとんどない、ただのクラスメイトだから、時間をかけてゆっくり親しくなろうって思った矢先に失恋して、ついカッとなってね」
突然のカミングアウトだった。まさか八年温めた笑い話に続き、いやこんな始まりがあったなんて。
「あの頃は恋愛経験がなかったから、好きな人に彼女ができたイコール片想いの終わりだって思い込んでたの」
「それは可愛い思い込みだね」
僕がそう返すと、彼女は肩を揺らしてくつくつ笑った。
「そっか、笹井さん俺のこと好きだったのか」
「若かったねえ。入学してすぐ、絆創膏をもらっただけで恋に落ちたんだから」
「俺そんなことした?」
「ん、体育館掃除の時かな。転んで膝を擦りむいちゃって。そしたら小林くんが、余ってるからってくれたの」
「優しかったんだなあ、俺。そんなかっこいいことして」
「そうだね」
「ちょっと。つっこんでくれないと自画自賛する男で終わるんだけど」
「そうだね」