婚約者はホスト!?⑤~愛しい君へ~
マンションに帰ってきたのは、夜の9時…
金曜日の夜だったこともあり、渋滞に巻き込まれてしまったのだ。
勇斗達をベッドに寝かせ、リビングで一息ついていると、寝室のドアから悠真くんが顔を出した。
「あれ? 悠真くん、起きちゃったの?」
私の問いかけに、悠真くんは小さな声で呟いた。
「クマ吉……」
「え?」
「クマ吉がいないと、ぼく、眠れない…」
「クマ吉?」
「クマのぬいぐるみとかじゃない?」
首を傾げる私に、食事中の圭司がそう言った。
「あー そっか ねえ、悠真くん、クマ吉ってぬいぐるみ?」
「うん… クマ吉はぼくのぬいぐるみ…」
「そっか… じゃあ、今から悠真くんのおうちに、クマ吉取りに行こっか? 悠真くんのママから、おうちの鍵、預かってるから」
私の言葉に、ようやく悠真くんは笑顔になった。
「なに? あいつ、なつに家の鍵まで預けたの?」
圭司は箸を持ったまま、振り返った。
「うん そうだけど…」
「ふーん… 離婚届といい、あいつも随分となつに気を許したよな… あんなこじれかけてたのにな」
圭司は感心したようにそう言うと、食べかけの肉じゃがを頬張った。
確かに私も、香奈子さんがここまで私を頼ってくれるとは正直思わなかった。
だからこそ、その信頼に応えて、香奈子さんともう一度やり直したいと思っているのだ。
「悠真くん、外寒いからこれ着ようね… これも勇斗のだけど…」
私はパジャマ姿の悠真くんに上着を羽織らせた。
「じゃあ、ちょっと下の階に行ってくるね!」
準備ができて、リビングを出ようとすると、圭司が私を手招きした。
「家の中に入るのは悠真くんだけな… なつは玄関の外で待ってるんだぞ… もし後でトラブったら嫌だろ? 一歩も入るなよ」
「あっ うん… 分かったよ。」
やっぱり、圭司は香奈子さんへの警戒を緩めてはいないようだ。
「それじゃ… 行ってきます。」
今度こそ、リビングを出ようとすると…
「ずゅるい! ぼくも行く!!」
寝室から飛び出してきた勇斗が、私の足に絡みついた。
「あっ 勇斗も起きちゃったの!?」
「ぼくも、お出かけする!」
「お出かけって… ただ、悠真くんちにぬいぐるみ取りに行くだけだよ? それに、一緒に来ても勇斗は悠真くんちに入れないよ? 外も寒いし…」
「いいもん… ぼくも、いくんだもん」
勇斗は今にも泣きそうな顔で訴えてきた。
「連れてってやれば? どうせ、勇斗も、言い出したらひとの言うことなんて聞かないじゃん… 誰かさんみたいにさ」
圭司が嫌みっぽく言って笑った。
「もう、圭司は一言余計なんだから… はいはい、じゃあ、勇斗も行こうね…」
私は圭司を睨みながら、勇斗の支度にとりかかった。
………
夜のお出かけは小さな子供にはワクワクするようで、二人ともキャッキャとはしゃいでいた。
「じゃあ、私と勇斗はここで待ってるからね… 悠真くんはクマ吉とっておいでね。」
玄関の前でそう言うと、悠真くんはうんと頷いて、勢いよく入って行った。
バタンとドアが閉まった、その瞬間…
突然、後ろから声をかけられた。
「こんばんは」
えっと振り返ると、二人組の男がタバコを咥えながら立っていた。
見るからに柄の悪い男達だ。
「どっ どちらさまですか?」
勇斗を抱き寄せながらそう言うと、もう一人の男が足でタバコの火を消しながらニヤリと笑った。
「俺達? うーん 新しい居住者ってとこかな~」
「は?」
「ってことで… お邪魔しま~す」
男達はニヤニヤしながら、勝手に玄関を開けて部屋の中へと入ってしまった。
「えっ ちょっと!」
何が何だか分からないけれど…
中には悠真くんもいるし、あんな柄の悪い男達をほおっておく訳にはいかない…。
とにかく、追い出さなきゃ!
「勇斗、よく聞いて… おうちに帰ってパパに助けてって伝えて! 怖いおじさん来たからって… 階段使えば行けるよね 分かった? ここには絶対戻ってきちゃダメよ」
必死で私がそう言うと、勇斗はコクンと頷いて、廊下を走って行った。
勇斗を見送った後、私は覚悟を決めて中へと入った。
リビングのドアを開けると、男達はソファーでくつろぎながら、ビールを飲んでいた。
けれど、悠真くんの姿はどこにもいない。
どこかに隠れてしまったのだろうか…。
悠真くんの為にも、早くこの人達をどうにかしなくちゃ…
「あの! どういうつもりか知りませんけど、早く、出て行って貰えませんか!」
私はソファーの前でそう叫んだ。
「いやいや、奥さん… 出てくのはあんただよ。ここは、もうすぐ競売にかけられるんだからさ…」
「え? どういうことですか… それ」
そんなの初耳だ…
「あんた、旦那から何も聞かされてねーの?」
「私… ここの家の者ではないので…」
「ふーん な~んだ… まあ、いいや…教えてやるよ。ここの旦那さ、海外の事業に失敗してもうすぐ自己破産するらしいんだよ… だから、このマンションも競売物件になるって話…」
「うそ… そんな」
もしかして、本当はそれが香奈子さんとの離婚の原因なんじゃ…
そんな考えがふと浮かんだ。
「嘘じゃないよ… 俺達、占有屋だからね、その辺の情報には詳しいんだよ…」
占有屋?
あっ、知ってる!
つい最近、テレビの特集でやっていた。
確か、競売物件に不当に住み込んで居座って、落札者から立退料をふんだくったりする人達のことだ。
私には、このマンションがどうなるのかなんて分からないけれど、香奈子さんの留守中にそんな人達を家に住み着かせる訳にはいかない。
「とにかくいい加減にして下さい! 占有屋なら、尚更、ここにあなた達がいられる権利なんてありませんよね! 出ていかないなら、警察呼びますよ!」
私は大声を出して、男達を睨みつけた。
「へえー あんた占有屋のことちやんと知ってるんだ~ じゃあ、俺達がヤクザってことも分かってんだよな?」
男の一人が私の腕を摑みソファーの上に押し倒した。
「ちょっ… 何す…」
恐怖でうまく言葉が出ない…。
どうしよう
この人達、ヤクザだったのか…
テレビの中の占有屋は、裏バイトで雇われたフリーターだった筈なんだけど…。
あっ、でも、結局、バックには暴力団がいたんだっけ…
焦る私を見下ろしながら、男はニヤリと笑った。
「ヤクザ舐めてるとどうなるか、あんたに、たっぷり教えてやるよ…」
男は私の両手を押さえつけながら、首筋に顔を埋めた。
「ちょっと、やめてよ! ヤダ 圭司、助けて~!!」
精一杯の声を出して叫んだ時、リビングのドアから、息を切らせた圭司が飛び込んできた。
「なつ!?」
圭司は、男に押し倒されている私を見て、大きく目を見開いた。
「圭司…」
よかった…
私がホッと胸をなで下ろしている中、圭司の目はみるみると怒りを帯びていった。
「おまえら、こんなこして、ただですむと思うなよ」
圭司は低い声でそう言うと、私を襲っていた男の髪をガシッと掴み、顔面を思い切り膝で蹴り上げた。
そして、うっと倒れ込んだ男の腹部に、容赦なく拳を打ち込んだ。
背後から襲ってきたもう一人の男には、回し蹴りを入れた後、右アッパーを喰らわして、ものの数秒で気絶させた。
それはまるで、任侠映画のワンシーンでも見ているかのような光景だった。
「さてと… こいつら、どこに捨てよっかな…」
そう呟いた圭司の背中に、一瞬、竜の刺青が見えた気がした。