樫の木の恋(上)
「無性に悲しくて、死にたくて。でも死ねなくて…。そんな時に大殿の遣いのものが助けに来てくれた。」
秀吉殿は震えていた。悲しみにうちひしがれていた。
きっと寝ても覚めても思い出す程の悲しみなのだろう。
秀吉殿は唇を強く噛み締めたからか、少し血が出たほどだった。
それを手拭いで拭ってあげると、秀吉殿は話を続ける。
「織田家に連れてこられてからも何度も死のうとした。それを見越していたのか、大殿はそれがしを周りに見せないようにしながら側に置いてくださった。死のうとするたんびに大殿に止められ、死ぬなと説かれた。」
大殿は全てを話したと言っていた。しかし全てではなかった。肝心の部分を知っていながらも隠して、知らないふりをしていたのだ。
秀吉殿から話すべきことだと判断したのだろう。
大殿の優しさが垣間見える。
「体調が良くなる頃には死にたいと思っても、死んでしまっては大殿に顔向け出来ないと思うようになった。それから小姓として仕え、武士として取り立てて貰って今に至る。」
「秀吉殿…。」
「大殿には…感謝してもしきれんほどじゃ…。」
大殿と秀吉殿には、それがしでは入れない程の深い信頼がある。それは誰も侵せぬ二人だけのこと。
秀吉殿を支えてくれていたのだなと、あらためて感謝したいほどだった。
間違いなく、ここに秀吉殿がいるのは大殿のお陰。
そう思いながらも、今川家への怒りがただただ増していくばかりだった。