樫の木の恋(上)
松永殿が帰り大広間から人は去っていった。少なくなった大広間で木下殿に聞きたいことがあった。
「何故あのようにわざわざ嫌われるようにしたのです?」
あのような事を言われては怒りを買わない訳がない。現に松永殿は帰り際に木下殿を睨みながら帰っていったのだ。
「あやつはどうせ裏切るじゃろう。裏切った場合真っ先に矛先が向くのはそこの家の大将だ。しかしあれだけ嫌味を言われ怒りを買えば、先にわしを殺したくなるじゃろう?」
なるほど。つまりは裏切った際、真っ先に木下殿が狙われればその間に他の者が松永殿を潰せばいいと。
そうすれば大殿に怪我もなく済むという。
要は保険をかけた同盟ということだ。
しかし裏を返せば木下殿が危険にさらされるという事。
ちらりと大殿を見ると平然とした顔をしていた。
「秀吉。よくやった。」
大殿のその言葉に思わず苛立ってしまった。大殿は己の好きな女子が己を庇って危険にさらされるやもしれぬというのに、なんとも思わないのだろうか?
その思いが顔に出てしまったのだろう。木下殿が苦笑しながら大広間から出るよう促した。
納得のいかなかったその対応に更に苛立ち、大広間から出て階段を降りたところで木下殿に食って掛かった。
「木下殿構わないのですか?」
「いいんじゃよ。大殿は一国の大名じゃ、大殿に何かあってしまっては困る。わし一人犠牲になるくらいで済むならその方がいいんじゃよ。」
優しげな顔で大広間の方向を見る木下殿。その愛する者へ向けられる視線に思わず声をあらげてしまう。
「木下殿は大殿の盾ではないのですよ?ましてや木下殿は大殿の…」
「半兵衛。ここでそれより先を申すな。」
ぬるりとした殺意が全身を駆け巡る。
今自分はこの誰が聞いてるとも知れぬこの場所で、木下殿が大殿の愛人だという事を怒りに任せて言ってしまいそうになっていた。
しかし木下殿は殺意を瞬時にしまい、いつもの優しい木下殿に戻っていた。
「わしは大殿の駒の一つに過ぎん。大殿に危機が及べば身を呈してお守りするのが道理だ。」
その木下殿の言葉に何も言えなかった。
駒の一つに過ぎないと言っておきながら、言葉の裏に見え隠れする木下殿の大殿への想いが見えてしまったから。
やはり木下殿は大殿を事を愛しているのだと、そう感じてしまった。