彼女は世界滅亡を描く。
「雪なんて…一生見れないと思ってました。」
「うん、俺も。」
少し悲しげにそう呟く彼は、街が沈むところを実際に見るのはこれで2度目になるという。
1度目は10年前発生した大震災の時。
その大震災は、陸地への浸水が始まっていた地域に地盤沈下と津波をもたらし、あっけなく街を海没させた。テレビにうつったその様子を、私は何を思って見ていたのだろう。映画か何かのワンシーンだとでも思っていたのだろうか。当時の私はまだ子供で、遠い地域の震災とそれに伴う二次災害の残酷さなど当然微塵にも知らなかった。それから年齢とともに私が身につけた現在の地球についての知識はなんの役にも立たないようなものだ。温暖化によって水位が増し、ありとあらゆる場所で街や国が沈んでいるという歴史的事実をただ教科書の中にしまいこんでいるだけだった。
実際は、映画で見るよりももっと凄まじい音を立てながら、恐ろしく速いスピードで全てを連れ去り、しかし、穏やかで脆かったというのに。
映画でもなんでもない。
あっけなく滅亡していく世界が私に突きつけられた現実だった。
きっと彼にとってもそうだろう。
本来なら見るはずのなかった景色を見て、本来なら夢物語だった雪も今は窓の向こうで。
「…これが、現実なんですね。」
私の言葉に頷きもせず、彼はちらりと窓の外を見やってハンドルをゆっくりときった。
彼の目には、2度目の世界滅亡はどう映ったのだろう。

「暖房、温度あげてもいい?」
「はい、どうぞ。」
信号待ちで彼は温度を調節するためのボタンを何度か押した。生ぬるい風が顔に直接ぶつかる感覚はどうも落ち着かない。気を紛らわせようと結露した窓を小さく指でなぞると、彼が笑った。
「暖房なんて初めてつけたよ。」
「私も、つけてる人初めてみました。あ、信号青。」
私がそう返すと、変だよな、と彼は呟いて、アクセルを踏んだ。
私は指でなぞって出来た隙間から外を見つめる。ひやりとした冷気が窓を伝って頬に触れた。
温暖化の進行は寒冷化の進行だ、とは誰が言っただろうか。
私の街は温暖化の影響で暖冬続きだった。当然雪など降るはずもないし見たこともない。雪を降らせる地域があるらしいと噂に聞いていたくらいだ。それでも、この目で見るまではまさか本当に存在するとは思わなかった。
寒冷化が進んだ冬に、どうやらこの街は雪を降らせるらしい。
超高道路に終わりが見え、ウィンカーの音が車内に響く。カチカチと一定のリズムを保ったそれがピタリと止むと、そこも一面の白だった。
景色に飽きた私はいつの間にか眠っていて、彼に肩を揺さぶられ目を覚ました。
「着いたよ。」
「…はい。」
彼はシートベルトを外してがちゃんとドアを開けた。途端に冷たい風が車内まで入り込んで私は完全に目を覚ます。
「さむ…。」
「挨拶してくるから、荷物持ってそこでちょっと待っててね。」
「はい。」
彼に続いて手荷物を抱えドアを開けると、足元はやはり白く染まっていた。
足が埋まってしまうほどの雪。
その感触は柔らかなようでいて硬く、このまま体が沈んでしまうのではないかという錯覚はいともたやすく掻き消された。
ぎゅむぎゅむと音を立てる雪は私の想像とはまた少し違って面白い。結晶なんてものはみえないし、簡単には足を抜くことができないほどの質量もある。それに、想像していたよりもずっと冷たい。じんじんと体全体を冷やしていくような感覚にびりりと体が震えた。
「っくしゅん!」
「思ってたよりも寒いね。中、入ろっか。」
挨拶を終えたのだろう、彼が戻ってきて、私の手から荷物をとると目の前の小ぢんまりとした建物を指差した。
雪のせいで真っ白に見えるその建物は今時珍しい木造建築で、二枚扉の玄関は建て付けが悪いのか風が吹くたびにガタガタと音を立てる。急勾配な瓦屋根からは氷柱が伸び、建物全体を覆うそれが建物をまるで魔王城に見せた。窓も二枚戸になっているのか中の様子は見えない。玄関先にちんまりと掲げられた「星ヶ丘荘」の文字はくたびれていて世界遺産か何かのような風格がある。
「気に入った?」
「はい、とても。」
彼がよいしょ、と二枚扉を開けると、中からはふわりと木の匂いがした。

今日からここが私の家で。
今日からここが、私の街。
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