彼女は世界滅亡を描く。
「おはようございます!一緒に朝ご飯、食べましょう!!」
バン、と大きな音がして扉が開いたのは、まだ外も暗い6時過ぎのことだ。おそらく彼が先に起きていて、その後部屋を出た。そんな一瞬の隙間だったに違いない。
青年の声が玄関から響き渡り私は顔をしかめた。
「穂積さん!ウリワリさん!起きてますかー!」
うるさいな、と思いながらも布団から顔をのぞかせる。
私が目をこすってようやく見えた景色に、青年の眩しすぎる笑顔が映った。
私と目があったせいで、その笑顔はさらに眩しいものになる。
「ウリワリさん!ほら、起きて!」
「はぁ…?」
こっちは疲れているのだ、放っておいて欲しい。私が布団をかぶり直して青年に背を向けると、なにやらゴソゴソと玄関先で衣擦れの音が響いた。青年が靴を脱いで勝手に上がってきたのだ、と分かったのはそれから数十秒後。カーテンが開かれる音がしたかと思うと、ひやりとした冷気が私の頬を撫でた。
目の前の窓は結露していて、ぽたりと雫が窓枠から今にも落ちてきそうだ。
「ちょっ…と!」
勝手に上がらないでよ、と抗議の声を上げようと布団から顔を上げたかったが、そもそもそうさせることが青年の目論見なのだろう。
そんなものにひっかかってたまるか。
ふるりと体を震わせ再び玄関先の方へ体の向きを変えると、目の前には青年の笑顔。
「…私、まだ寝るから。朝ご飯なら、先生と食べてよ。」
私の目覚めはとにかく最悪だった。
彼が早く帰ってくることを祈りながら青年から顔を背けて目を閉じる。これ以上、私に眩しく笑いかけないで欲しい。
ガチャンと扉の開く音が聞こえて、心地の良い彼の声が聞こえる。
「わ、びっくりした。槙くんか、おはよう。」
「おはようございます、穂積さん!」
「今日も元気だね。」
「はい!それだけが取り柄なんで!朝ご飯、もってきました。一緒に食べませんか?」
「昨日から悪いなあ。」
「いやいや、いいんすよ!俺が食べてもらいたくて勝手に持ってきてんだから。」
「そう?じゃぁ、お言葉に甘えようかな。」
彼はえらく青年を気に入っているようだ。そして、青年もえらく彼に懐いているな、と布団の中で私はひとり思う。ウリワリはもう起きてるの、と彼の声が聞こえたので私は寝たふりを決め込んだ。だいたい、昨日青年のことを苦手だと私は言ったはずだ。デリカシーが無さ過ぎる、と私は布団を頭までかぶった。
2人で朝食を食べればいいじゃない。
そもそも私は朝ご飯は普段から食べない派だ、と心の中で言い訳じみた言葉を繰り返す。
「ウリワリさん、一緒に食べよ。俺、あったかい味噌汁も持ってきたんだ。」
青年が布団の上から呼びかけていることなど分かりきっている。少しでも顔を覗かせれば青年にしてやられる。次は布団ごと剥ぎ取られてしまいそうだ。
それでも私は背中を丸めて、布団をぎゅっと被っていた。
「まぁ、ウリワリも疲れてるんだろうし、多分そのうち起きてくるよ。先に2人で食べとこうか。」
彼の声にようやく青年も諦めたのか、私のそばにあった人の気配が消えると、カチャカチャとご飯の用意をする音が聞こえた。
それからどれ位時間がたったのだろう。
いつの間にか私は二度目の眠りについていたらしい。
窓から射し込む光に目を覚ました。
パラパラと何かの紙を捲る音が聞こえるのみで、数時間前の最悪な目覚めとは比べものにならないほど、それは静かな目覚めだった。
「あ、起きた?おはよう。」
「…おはよう、ございます。」
新聞を読む手をとめた彼がにこりと笑う。どうやら青年は出ていったらしい。
「朝ご飯、槙くんが持ってきてくれたけど。」
「いえ、いいです…。顔洗ってきます。」
重たい体を引き摺るように洗面台へ向かって、昨日までと同じように顔を洗う。戻ってくると、カーテンの開いた窓の向こう側が見えた。
一面に積もった白い雪に、太陽の光がキラキラと反射している。
「…まぶし。」
「凄いね、ほんとに。」
外の景色のことだと分かったのだろう。彼も目を細めて窓の外を見つめる。
「槙くん、ウリワリが思ってるほど幸せな人でもないと思うけど。」
「…なんですか、いきなり。」
「雪って、綺麗だったり、眩しかったりするけどさ。怖い面とか、寂しい面とかもあるでしょ。」
「ポエミーですか。」
「茶化さないで聞いてよ。これでも俺、真面目なんだから。」
互いに視線を合わせて笑いあう。どちらも、心の底からの笑顔でないことなどわかっているけど、そんなことはどちらも言わない。
「まあ、とにかく、まだ槙くんの一部分しか俺たちは見てないってことだよ。そこに踏み込んでいくかどうか、そこを見せるかどうかは、ウリワリと槙くん次第だけどね。」
「先生みたい。」
「先生だったからね、一応。」
小さく笑った彼が立ち上がって、ガスコンロに火をつける。うちから持ってきたやけに鮮やかなティーポットは、あまりにもこの部屋には不釣り合いだった。
唯一見つかった母親の形見。
ところどころ塗装が剥がれていたり凹みがあったりするが、形の残っていたものでうちのものだとわかるのはこのティーポットくらいで、私は迷わず海の中から拾い上げた。
「先生、コーヒー飲むんですか?」
「ウリワリは紅茶でいい?」
「すみません。」
「良いって。ついでなんだから。」
ととと、とティーポットが音を立てる。彼はそのまま読みかけだった新聞を捲って、シンクにもたれながら何の記事を読んでいるのか視線を落とした。
あぁ、うちの朝と同じ音だ。
父親の新聞を捲る音。母親がティーポットを火にかけた音。椅子をひいて、テーブルに全員がついて。何気ない話をしながら、窓の外に視線をやって、砂浜のない海を見つめて。海岸線が遠く遠くに広がっていて、目を凝らすと靄の向こうに水平線が見える。
あんな当たり前の時間は、もう戻ってはこない。
声を押し殺して泣くと、彼はなんでもないように、入れたばかりの紅茶を私のそばに置いた。
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