彼女は世界滅亡を描く。
街はほとんどが海没していた。
元々海に近かった地域は家ごとさらわれていったようだ。街の中でも比較的標高の高い位置にあった学校も、膝上程度に浸水していた。私の家は、二階建ての一階部分が完全に浸水しきっていて、私の部屋の窓ガラスは水圧で割れてしまっていた。様々な漂流物がそこらかしこに浮いていたし、青く見えたはずの海は緑に濁っている。
ここに全て沈んでしまったのだ。
少し潜った先、一階部分の屋根にティーポットは引っかかっていたはずだ。そっと目を開けて見た家の中はもうぐちゃぐちゃだった。壁にあったものも、床にあったものも、天井にあったものも、とにかく家の中全てが崩れていた。
そして、両親の姿をそこに見つけることは出来なかった。
ぎゅっとティーポットを握りしめ私が海面から顔を出すと、車を海面ギリギリに寄せた彼は私に手をふる。
「俺の家は多分浸水してないから、とりあえずそこへ行こう。」
「…もう少しだけ、ここにいてもいいですか。」
私の言葉に彼は少し切なげな顔をした。
私は泳いで岸まで辿り着いて海から上がる。チャプチャプと足を海につけて沈んでしまった街を見つめた。
きっと、あそこの赤い屋根の友達も、海岸沿いに住んでいたおじいさんも、あのマンションの住人も。
…そして、私の両親も。
海に溶けてしまったのだろう。
声を押し殺して泣いた。
海に消えていく涙は何度拭っても止めどなく溢れていく。
彼はそんな私の横でそっと目を閉じて手を合わせていた。
ようやく止まった涙が見せた景色を私は一生忘れないだろう。
こんなに残酷な世界で、太陽の光は海に乱反射して輝いていた。
ただ静かにそこにあって、穏やかな波だけが音を立てる。
「…なんで、私生きてるんだろ……。」
死んでしまっていれば、こんなに苦しむことなんてなかったのに。
そう呟くと彼は光り輝く海を見つめて、私に笑いかけた。
下手くそな作り笑いだった。
「…それでも、生きていかなきゃ。」
私の手を引いて、そっと私の頭を撫でると彼は車に乗り込んだ。

彼の家は学校よりも標高の高い位置にあったので、浸水はおろか雨の気配すらも感じられなかった。
部屋の中は小綺麗に整頓されていたし、モノクロの家具は彼のイメージ通りだった。
「連絡のつく親戚は?」
「…いません。」
フルフルと首を振ると、彼は少し考えて私を見つめた。
「ここでしばらく暮らそう。それから、引越し。いつまでもここにはいられないし…。そうだ、どうせならもう少し北上しちゃおうか。」
いたずらっぽく笑う彼は少し幼く見えた。努めて明るく振る舞うのは先生という職業病なのかもしれない。
「…え、でもそんなお金、ない、です。」
「お金の本来の価値なんてとっくに消滅してるよ。今じゃただの紙切れ。」
「先生なのに、そんなこと言うんですね。」
私が戸惑うように言うと、彼は小さく笑った。
「…もう、先生じゃないよ。」
その一言が全てを物語っていた。
街が沈んだ今、学校はただ、被害の少なかった建物の一つに過ぎない。通う生徒も、教える先生も、消えてしまったのだから。
彼も、私と同じ。
たった一人だった。
「…先生は……。」
「俺に親戚はいないよ。10年前の震災で全員亡くなった。だから俺が何をしても、どこにいっても、全部俺の自由なの。」
「…すみません。」
「謝らなくていいよ、もう10年も前のことだし…。」
「だけど、私は……。きっと、10年たっても、今日のことも、あの日のことも、絶対に忘れられないから。」
「そうだね。」
にこりと笑った彼は私の頭を二、三度撫でて写真に飾られた古い思い出を眺めていた。
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