恋凪らせん



お腹の中でどんな黒い感情が暴れていても表にはちらとも見せない。思ったことをそのまま口にしたら、人と争うことなんか目に見えてる。
なにかにつけて反論したり拒絶したりすることで、誰かと気まずくなって人間関係に悩む時間をとられるなんて面倒でしかない。「ハイハイ」とうなずいておけば、そんなことにはならない。
これが子どもの頃からのわたしの処世術であり、保身術だ。

肩を反らしたついでに首もぐるりと回してみると、フロアの隅で先輩に捕まっている京子が見えた。声まではこちらに届かないけれど、その身振りで彼女が誘いを断ったのがわかった。先輩がペンを忙しなく回しながら残念そうに京子から離れていく。おそらく京子の不参加の理由は「彼とデートが~」ってところだろうか。

ホントはいないくせに、そんな男。

外資系に勤めるハーフの美形社員。さんざん自慢していたその男と京子がとっくに別れていることをわたしは知っている。彼と同じ会社に、私の後輩が勤務しているのだ。だからよく知っている。
京子と彼が別れたことも、今その彼が海外勤務をしていて日本にいないことも。

けれど、わたしは京子を否定しないし、話の腰も折らない。うなずいて聞くだけ。
「ああまた始まったな。そんなにすらすら嘘が出てくるってすごいな」とは思うけど、正直どうでもいい。別にわたしの損にはならないことだし。

行きたくもない飲み会に参加前提で誘われることや、同僚に調子よく仕事を押しつけられることに比べたら、京子の茶番につき合うくらい楽なもの。

それにしても、派手めで飲み会の席では盛り上げ役の京子が不参加となれば、部長の話の聞き役はわたしになりそうだ。輪をかけて面倒な飲み会になりそうで、また溜息が出た。

でもうっかり断って、「つき合い悪いね」とかちくちく言われるよりずっとマシというものだ。脳内に流れる本音の色を白に変えたら、背景と同化して見えなくなる。見えない本音は、たとえどんなに中身が凶悪でもないのと一緒だ。
ちょっと我慢しさえすれば面倒事は格段に減るのが世の中である。



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