恋凪らせん
それ以降の仕事は散々で、あり得ないようなミスを重ねた。ようやく退勤時間になったけれど、ミスを取り戻そうと残業に入る。ようやく区切りをつけたときにはフロアに人はまばらで、わたしはのろのろと帰り支度をして通用口へ足を向けた。
「湯川」
がらんとしたホールに声が響く。振り向かなくてもわかる。中杉くんの声だ。
「残業お疲れ。……なあ、なんでこっち見ないんだ?」
「べつに……」
「オレなんかしたか? さすがにそういうの堪えるんだけど」
顔を背けたまま答えられずに黙っていると、中杉くんが少し口調を変えた。
「来週の飲み会、やっぱり行くのか?」
「行く……けど」
「オレは行かない」
はっと顔を上げる。視線が絡んで「やっとこっち見た」と苦笑する彼に頬が熱くなった。
「その日はレストラン予約してるんだ。ふたりぶん」
ふたりぶんという言葉に、すうっと背中が冷える。結子と行くのだろうか。今日話していたのはそのことだろうか。スマホで場所を選んで、予約を入れて……。
どうしてこんなに気になってしまうんだろう。その答えはもう出ているのかもしれないけれど、自分の感情が面倒なことになる前に心に蓋をしようとう思ったとき、中杉くんの柔らかい声が降ってきた。
「なあ湯川。本音で答えて欲しいんだけどさ、人の仕事無理して引き受けんの好きか?」
「…………キライ」
「じゃあ、来週の飲み会に心底行きたいか?」
「…………行きたくない」
「そしたらオレと夕飯食いに行くか? 予約してあるんだよ、ふたりぶん」
愚痴でもなんでも聞いてやるからさと彼は屈託なく笑う。つられたのか、自然と笑みがこぼれた。一度受けた誘いを断ってどうなるかなんてもういいやと思った。先輩はペンを回しながら「勘弁してよ~」と言うかもしれないけれど、今まで貢献したのだから見逃してもらおう。
わたしは笑顔のまま中杉くんにうなずいて見せる。
「美味しいとこ期待してるね」と言うと、実は食べ歩きが趣味という彼は「任せとけ」と嬉しそうに笑った。
―― 了 ――