恋凪らせん



わたしはといえば、引いた線が消えることなく今も色濃く残っている。
潔癖なのか不器用なのか、あるいはそのどちらもか。残った線の上を何度もなぞっているので男の人との距離は縮まらない。

こんなわたしにも大学生になってからはいろいろな出会いがあった。
サークル活動にも積極的に参加していたから先輩たちからのウケもよく、けっこう可愛がってもらえた。誘われればコンパにもつき合ったし、みんなでわいわい騒ぐぶんには男の人と距離をおいたりはしない。友だちとしてなら一緒にいるのは平気なのに、ちらりとでも男の色の視線を感じると、わたしは全速力で引いてしまう。体を引き、意識を引き、みっともないくらいに必死に「こっちに来ないで」と見えない線を抉るように深々と引く。

そういう気配は簡単に相手にも伝わる。拒絶の色が見えれば、それを越えてまで近づこうとする人はまずいない。そのまま向こうからも適当に距離を置かれてその差が広がって、なんの関係の変化も訪れない。
それに心底ほっとしているのだから、恋人なんてできるはずもないのだ。

『恋愛経験なさそー』

さっきは反論しようと思ったけれど、まったくもって反論などできないことに気づく。田宮くんはそんなわたしを見抜いたうえで言ったのだろうか。



わたしは溜息をつきそうになるのを堪えて店内を見廻した。さっきお客がふたり入ってきていた。雑誌コーナーにスーツの男性がひとり、お弁当の棚の前に中年の女性がひとり。
田宮くんは、スナック菓子の陳列棚を丁寧に直している。

かるい調子でどこか適当な印象の田宮くんだけど、仕事は速く手抜きがない。酔客やクレーマーの扱いにも長けていて、年下のくせに頼りになる。だから、シフトが一緒だと密かに安心する。本人には絶対言わないけど。
ただ、ふたりきりで話すのはやっぱり苦手だ。隠したいものまで見透かされて、いつかいろんなものを暴かれそうな気がする。

じっと視線を向けていたのに気づいたのか、田宮くんが顔を上げてこちらを見た。目が合ったことに狼狽して身を固くすると、にっこりといい笑顔でひらひらと手を振る。読めない表情に少し苛つき、わたしは顔をしかめるだけで応えた。



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