恋凪らせん



どうして東棟にいるんだ、この男は。しかもここは社員専用の通用口。西棟にフロアがある人は西棟から帰りなさいよ。

「三塚くん、そういう出待ちみたいなこと、ホント困るからやめて」
「後藤さんが焦らすから悪いんだよ。そろそろ食事くらいつき合って欲しいな。彼がいるとか嘘でしょ?」
「恋人がいることはもうずーっと言ってるし、本当のことだから。それに、焦らすとかわけわかんないこと言うのもやめて。本気で怒るよ」
「ああ、怒った顔もいいね。後藤さんには本当は彼がいないってお告げがあったんだよ。お告げだよ? 間違いないだろ?」

誰からのお告げか存じませんが間違いだらけなんですけど。というか、この人ホントに普通じゃない。怖くなるレベルだ。

「さあ後藤さん行こうか。なにが食べたい? 和食? 中華? それとも僕?」

ぞわっと鳥肌がたった。話がまったく通じない。同じ言語を操っている人とは思えない。
こんなときに限って巡回中なのか守衛さんの姿はない。これはもう外に出て、大通りまで走ってタクシーに飛び乗ろう。

事と次第によっては、三塚と一緒に行う企画も白紙に戻してもらおう。三塚の相手ができるのは信楽焼の狸くらいかもしれない。まともな神経じゃとても聞いていられない。
私は「帰ります。お疲れさま」とだけ言い捨てて、通用口の自動ドアを早足で抜けた。外に出て駆け出そうとした途端、待ってましたとばかりに腕を掴まれた。

「痛い! ちょ……っ」

振り払おうにもさすがに男だ。力が強い。ひょろモヤシのくせに!

焦りで息が上がり、体は強張ってうまく動いてくれない。それでも思いきり腕を引いたのに驚いたのか、三塚の手が緩んだ。逃げられると喜んだのも束の間、バランスを崩してたたらを踏んだ。倒れると覚悟したとき、後ろから誰かが優しく抱きとめてくれて、それと同時に低い声が落とされる。



「離してくれませんか? この人、僕のものなんで」



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