よるのむこうに
「な、何って……」
「お前は俺のものだ、爪の先から髪の一本まで全部俺のものだ。今さら拒んでんじゃねえよッ……なんなんだよ、俺がどう変われば満足するわけ?何が不満なんだよッ……」
天馬は浴槽の縁に手をかけてうつむいた。その姿は泣いているように見えた。
「不満、なんて。そんな……」
不満なんてない。天馬は十分すぎるほどやってくれている。
……いや、不満はないといえば嘘だ。この男、水周りの掃除は嫌がるし料理はできないし、馬鹿だし、別れ話以降、勝手に私の携帯をチェックしている。それも悪びれる様子は一切ない。そういうのって人としてどうかと思う。
勝手に彰久君から二百万も借りてくるとか、牛乳パックをちゃんと水洗いせずに捨ててキッチンで異臭騒ぎを起こすのもいやだ。
けれど、私が彼の手を拒むのはそういう不満のせいではないのだ。そんなの、なんでもない。この胸を刺す悲しみに比べたら。
「俺は、お前の傍にいたい……」
彼の声は震えていた。
「……私なんかの傍にいたって、なんにもならないよ……自分の人生を、生きて欲しい……。好きな仕事をして欲しい……。
まだ24なのに、一生私の世話で終わるつもり?どうして?人生投げてるの?職歴がないから今さらどうにもならないって思ってるの?それとも、……同情?
そうだとしたら一番いやなんだけどっ……」
「ちげーよ……仕事なんか、上司さえ殴らなきゃ、なにやったって食っていける……」
「だったら、ちゃんと自分のために生きて欲しい。私の世話がきれいごとではすまないのは十分わかったでしょ……。
私だってショックだよ。天馬にこんな汚いところを見られるの!」
情けなさで、とうとう我慢がきかなくなった。嗚咽で、自分の言いたい事がちゃんと天馬に伝わっているかどうかもわからなかった。
病気のせいだといくら自分を説得したところで、納得なんかできない。
仕方のないことなのだといくら自分に言い聞かせても、何故私がという疑問が私に涙を流させる。
ついこの間まで出来ていたことが出来なくなっていく屈辱は私から余裕を奪った。今の私は誰にも優しくできる気がしなかった。病気になる前の私と今の私は別人だ。