よるのむこうに
約束をした時間からさらに二時間後、彼はやっと店を出た。
「こういうのは引き際が肝心だからな」
パチンコの景品と多少の現金を手にした彼はそんな事を言った。
何が引き際だ。
あんたが店に入ってから4時間は経過しているんだぞ。今の私なら言えるだろう。
しかしその時の私は初めてパチンコ店の店内に足を踏み入れたのだ。濃い煙草の煙と絶え間なく鳴り続ける電子音にさらされ続けた私は目も耳もおかしくなっていろんな感覚が麻痺していた。すでに店の外に出たというのに、まだ頭がくらくらしていた。
「ほれ、3万」
まだぼうっとしている私に3万円を手渡し、彼は私の手を引いた。
「ラーメンいくぞ、ラーメン。利息代わりに奢(おご)ってやる」
これが私達の初デートらしきものとなった。
初デートがこれなのだから、その後もなんとなくお察しくださるだろう。
私達は世間のカップルのように待ち合わせて出かけたり、ちゃんとしたところで食事をしたりテーマパークにいったりというような計画性のあるデートは一度も経験しなかった。
なんとなく私がパチンコ屋の前を通りかかり、天馬が私に気付く。
彼は大抵の場合金欠なので私の奢りでラーメンを食べる。
たまに天馬がパチンコで勝った時は彼の奢りでやはりラーメンを食べる。
それを何度か繰り返すと私にとっても彼にとってもそれが当たり前になった。
相手の姿がないとパチンコ屋の前で立ち止まって互いの姿を探す。目があうとそのままラーメンを食べにいく。
私は何度かそうしたし、天馬が私を待っている姿にも何度か遭遇した。
気の小さい私は天馬の190近い身長と粗暴な態度がはじめは少し怖かった。
だから雑談にも少し気を使っていたけれど、そのうちに気が楽になった。
天馬という人間は衣食が満ち足りてさえいれば基本的には上機嫌で、社会に不満もなければ自分の現状にも満足している。彼は自分に満足していて、余計なフラストレーションは少しも抱えていないとわかったからだった。
そのうちに私は自分の生活についての瑣末なあれこれや、同僚には言いにくい仕事の愚痴も天馬に聞かせるようになった。
今から振り返ると天馬は私の声をBGMにラーメンを啜っていただけで、ほとんど話の内容は聞いていなかった。彼はアドバイスもしないし私が話した内容について感想も言わない。たまに相槌を打つだけ。
そんな手ごたえのない相手に、私は飽きることなくいろんな話をした。
後から振り返れば何故そんなことを熱心に繰り返していたのか不思議になるけれど、たぶんその時の私はそんなことが楽しく思えるほどに楽しみを知らず、そして孤独だったのだろう。