よるのむこうに
今回は妹の電話一本でわざわざ東京まで出てきてくれた兄だが、私と兄は特別仲がよかったわけではない。
私達はどこにでもいる普通の兄妹だ。
兄は高校卒業後、父も昔修行をさせてもらったという京都の老舗和菓子屋に修行に出た。
私は長子ではなく、しかも女の子だったということもあっていい意味でも悪い意味でも両親の手綱はゆるかった。兄がいるからこそ自由にやってこれた。
兄はそのことに複雑な思いをしたこともあったようだけれど、今は店の跡取りとして父の元で職人をやっている。そして、何年か実家で職人をやっているうちに一緒に家業を手伝ってくれるお嫁さんを見つけてきた。
これは言葉にすれば簡単なことだけれど、今は昔と違って婚家に入って舅姑と一緒に暮らし、ほぼ無給で家業を手伝ってくれるお嫁さんを見つけるなんてとても難しいことだ。きっと兄はそのあたりでも私の知らない苦労をしてきたに違いない。
誰の言うことも聞かずに東京の大学にいって、地元に戻らなかった私とは正反対の生き方だ。
こうして結局地元に逃げ帰る私を見て、「ほれ見ぃ、言わんことやない」という権利が、兄にはある。
けれど、兄はそれを言わない。優しくて、見方によっては自分の意見を口にすることの少ない兄なのだ。
兄と私は久しぶりに顔を合わせたというのに近況を語り合う時間もないまま、荷物を兄の車に積み込んだ。
八年も東京で暮らしたにもかかわらず、私の荷物はそれほど多くはなかった。
一時期、趣味で集めた靴は多かったけれど、リウマチでひどく腫れてしまった私の足にきれいな形のパンプスは履くだけで拷問器具のようなものだ。もう履けない。
だからリサイクルショップの店長が家電を引き取りに来たとき、集めた靴も一緒に持っていってもらった。