よるのむこうに
私はその友達のような知人のような、彼氏未満のような曖昧でゆるい天馬との関係に満足していた。
天馬の少しけだるげな表情や端正な顔立ちは気に入っていたけれど、私はとくに彼と付き合いたいとは思っていなかった。
深く考えたことはなかったけれど、私達はもともと毛色の違う人間同士で今はお互いが珍しいだけ。男女として付き合うのならばやはり同じ毛色の人間同士のほうが関係が安定する。そういう考えも無意識にあったのかもしれない。
そんなゆるい関係がしばらく続いたある日、私達の関係は突然変質することになった。
いつもとなんら変わりのない週末だった。
スーパーの袋を片手から提げてパチンコ屋の店内をのぞくと、やはり天馬はいた。
その日、天馬はパチンコで勝ったらしい。
「今日は俺の奢りな」
天馬はラーメンセットに加えてから揚げを注文していた。
「食えよ」
私が奢るときはラーメンセットだが、彼が奢る日はから揚げがつく。天馬はからあげを箸でつまんで私の口に突っ込んだ。
揚げたての衣の熱さよりも、私は彼が何のこだわりもない態度で私の口に自分の箸を突っ込んだことに驚かされた。
私はもう間接キスの一つで騒ぐような年齢じゃない。
天馬もまたそんなことで騒ぐタイプではない。
彼がはっきりとそう口にしたわけではないけれど、彼はその容姿のせいで早くから女に慣れていて、それがゆえに彼の中で「女」というものはごく軽い意味しか持っていないということは行動の端々ににじみ出ていた。
だから彼はべつに深い意味があって自分の唐揚げを私の口に突っ込んだのではない。何の意味もない行動だった。
そんなことはもうとっくにわかっていた。そのはずなのに私はそれでも心臓をぎゅっとつかまれたように感じた。
私はもう何年も誰かの箸で何かを食べることなんてなかった。それはとうの昔に忘れてしまった感覚だったのだ。
「うめぇ。やっぱ肉だよなぁ」
彼の呟きに私は無意識に頷いていた。
「うん」
「あんた、……いや、あんたじゃ呼びにくいわ。名前は?」
「う、うん」
「いやうんじゃなくて名前。……しっかりしてるのかそうじゃねーのかわかんねーな、あんた」
彼はそう呟いて苦笑した。
その優しい笑みに私は心を射抜かれてしまった。
「……夏子。小森夏子」
彼はそれを聞いて店の壁に貼られた古いポスターに目をやった。
つややかな小麦色の肌の美女が砂浜に寝転がってビール片手に微笑んでいる、そんなポスターだった。
まさに夏らしいものを目一杯盛り込んだポスターだ。
夏子という名の私、そして丁度その時の季節は夏。ポスターの中も夏。彼その偶然が面白くてそのポスターに目をやったのだろうが、無口な彼が粋な言い回しなど思いつくはずもない。そのまま皿に残ったから揚げを口に放り込んだ。
私も何も言わなかった。
そのまま二人で向き合って、さらに残ったものを空にすると、彼は自身の尻ポケットにねじ込んだ財布を抜きながら席を立った。