よるのむこうに
結婚か。
私は職場前のコンビニで飲み物を選びながら考えた。
リウマチを患い、実家を頼った段階で、そんな人並みの人生は諦めていた。
兄嫁さんに詳しくリウマチのことを話したことはないけれど、私は膝関節の手術をして人工関節を入れた。
生物学的製剤はやはりここでも医師に進められたけれど、挑戦するのが怖くて手術だけをした。
新薬を使うことよりも体にメスを入れることのほうがハードルが低いなんて自分でも驚いてしまうけれど、今の私は感染症で命を落としてしまうことがなにより怖かった。
足ならば最悪手術をしくじったとしても生きてはいられる、そう思ったのだった。今後どれほど病が進んで、手足をいくら取り替えても、命ある限り生きては行ける……。
生きるということにこれほど執着したのは初めてのことだった。死ぬのが怖い、そういう意味ではなく、私は生きていたかった。
私は天馬を諦めてしまったけれど、天馬の行く末を見つめていたかった。
週末ごとに行われる天馬の試合を見ること、そのために生きていたかった。
今の私は彼の重石(おもし)ではなくなったかわりに、彼に優しい言葉の一つもかけてあげることはできない。
それでも彼がその身を燃え立たせてバスケをする、その凛として美しい姿を見ていたかったし、いつまでも彼のファンでいたかった。
天馬を裏切り、別れの挨拶すらなく実家に帰った私がこんな事を思うのは彼にしてみれば迷惑な話なのかもしれない。
けれど、コートの中で生きる彼はいま、私の希望そのものだった。
また、週が明けたら彼の試合を見ることができる、そう思えばリウマチの疼(うず)くような痛みの中でも常に喜びはあった。