よるのむこうに
『またな』
天馬の最後の言葉を、私はただのお愛想だと聞き流した。
けれど、その「また」は私が思うよりも簡単に私の元を訪れた。
「……天馬」
「よ。腹減ったぁ」
彼が相も変わらずパチンコ屋に入り浸っているのは何度か見かけていた。けれどセックスしただけの女に付きまとわれるのはうっとうしいだろうと遠慮して彼に声をかけることはしなかった。
その私の配慮を無にする形で、天馬は私のマンションの前にしゃがみこんでいた。もちろん私は驚いた。
「遅くまで働いてんだな」
「今は少し忙しい時期だから。部屋に何もないけど……どこか食べに行く?」
「ん……。あれできないの。卵のやつ。オムレツ?」
「ああ、ミートソースの?やだ、あんなのレトルトだよ」
「レトルト?なんだそれ」
嘘。この現代日本でレトルトを知らない人間がいるとは。男の人はそんなものなのか?
「なんでもいいや。腹減った……」
それしか言葉を知らないかのようにそう繰り返すので、私は思わず笑ってしまった。
「じゃあ、ピザでもとる?」
「マジかよ、金持ちだな」
私から見れば一日中パチンコ屋に入り浸る人間のほうが私なんかよりもはるかに金持ちだと思う。
「あとあれな、なんでもいいからオムレツ」
「卵ねえ。あったかな……」
玄関の鍵をあけながら、私は複雑な気持ちになった。
セックスもしたというのに天馬が私に望むのは食事である。餌付けしてしまったとしか言い様のない状況だ。
しかも彼が餌付けされたのはオムレツだ。中身がレトルトのミートソースという、手作りかどうかさえ怪しいオムレツなのだ。
私は一体何のためにパチンコ屋の前をコソコソと隠れるように歩いていたのか。
なんのために土曜はわざわざ遠くのスーパーを利用して商店街を歩かないようにしていたのか。
すべてがむなしくなって私は思わず笑ってしまった。