よるのむこうに
「夏子、どうしたん。声がかすれとるよ。エアコンつけっぱなしで寝たんやない?」
「ん……そうやないよ……。いろいろあって……疲れとんよ」
「仕事かぁ?男みたいにいっちょまえに(一人前に)仕事して、家の事もちゃんとやるんは無理よ。だから東京に出るのはいかんておじいちゃん言っとったんよ」
「ん……仕事は休職することになったわ。もう、働けんと思ってる……」
母が一瞬言葉に詰まったのが伝わってきた。私がどれほど教師という仕事に憧れていたのか、母はよく知っていたからだ。
「なん……そんなこと言うて……いやなことでもあったの」
「そうやないよ……。そうやないんやけど、ちょっと、体を壊してしまって。
薬が切れると、痛くて歩けんの。ほいで(それで)、上司から休職しろって言われて……。
そりゃ言われるわね……そんな体で職場におられても周りが怖いから」
「夏子………」
母はしばらく言葉につまり、そしてまたいつもの激しい説教口調に戻った。
「だから東京なんかやめときぃて言ったんよ。兄ちゃんもじいちゃんも、みんなそう言ったでしょう、それをあんた、いけるって言って聞かんから。昔っから東京の空気は……」
「……私が弱かっただけ……、そんでな。お母さん、しばらく実家に帰ってもええかな?
……ずっとやないけど、しばらく体が落ち着くまで……。
三年は手当てももらえるし貯金もあるから家にお金は入れる。それにまだ座って軽い作業ならできるって病院の先生も言ってたし……家の手伝いくらいはできるから」
「何を言うとるん、あんたに手伝い頼むほど耄碌(もうろく)しとらんわ。……それならはやく戻って来なぁ。東京はいかんて。まず水がいかん。それに空気も悪いて聞くし、とにかく早ぅ戻っておいでな」
東京と、そして親の反対を押し切って東京に出た娘に怒りつつ、母の声は話しているうち次第に震えていく。
今、母は電話の向こうできっと涙をこらえている。悲しい涙、怒りの涙、おそらくきっと両方だ。
それが手に取るようによくわかった。
こんな年になってこんなに親を心配させることになるなんて。