よるのむこうに
「米って……。でももうお湯を沸かしちゃってるし」
「じゃあ明日は絶対米な。っていってもお前はまたそうめんを茹でそうだから明日は俺がメシを作る」
「えっ、嘘。天馬、料理できるの」
天馬は肩をすくめた。
「……ま、うまくはねえだろうけどな。なんとかなんだろ。何年もお前の手元を見てるわけだし?」
つまり、やったことはないができる気はする、そういうことですね。
客観的に見て全くできる気がしない。
「見てるだけで出来るなら苦労しないわよ、バカ」
私は笑いながら再び私の後ろをぬけようとする天馬を振り返ろうとした。
その時、包丁を握る私の手が滑った。
包丁は慌てて包丁を握りなおそうとする私の指先をすりぬけ、刃先を下にまっすぐに落ちていく。
ゆっくりと私の足の上めがけて落ちていく。
周りのものが妙にゆっくりと動いていた。
目でゆっくりと追うことができるその落下速度ならば、足を避けるか包丁をつかむかで怪我を回避できそうなものだが、私の手も足も動かない。間に合わない。
その状況の中で、私の頭だけは妙にはっきりとしている。ただただまずい、まずい、なんとかしなくちゃ、と心の中で唱え続けていた。
私は恐怖のために、目を瞑るのが精一杯だった。
しかし、私の予想に反して、包丁は足には刺さらなかった。
いつまでたっても包丁が落ちる音も足の痛みもやってこなかった。
恐る恐る目を開けると、天馬が私の足元に身をかがめて包丁の背をつまんでいるのが視界に入った。