再生する




「彼女と出会ったのは、俺がまだ学生だった頃。同じサークルだったし、趣味も合って、すぐに仲良くなった。天真爛漫な子でね、一緒にいると、つられてこっちも楽しくなった」

 椅子の背もたれに背中をくっつけ足を組み、さっきよりもずっとリラックスした体勢で、神谷さんは話し始めた。

「付き合い始めたのは二十一歳の頃。学生だったし、結婚なんてまだ考えてなくて、一緒にいて楽しいからって、そんな程度だった」

 でもその付き合いは就職しても続き、二十四歳になる頃には結婚の話もするようになったという。
 彼女は結婚に乗り気で、すぐに結婚情報誌や住宅情報誌、インテリア雑誌を買い込んで、暇があればそれを読んでいたらしい。
 そして間もなく、結婚を視野に入れての同棲を、あのマンションのあの部屋で開始した。

 ふたりで選んだ家具や、お揃いの食器。どれも気に入ったものだけを選び、まるで本当に結婚したような、充実した毎日。
 これなら本当に結婚しても、ちゃんとやっていける。そう思っていたらしい。

 その生活を、わたしは知っている。神谷さんの部屋で見つけた、幸せそうなふたりの写真。それが全てを物語っていた。
 きっと本当に楽しい、幸せな生活だったんだろうな、と。そう思った。


 でも……。

「同棲も三年が過ぎて、そろそろ籍を入れようって提案した。彼女も頷いてくれて、お互いの実家に挨拶に行った。仕事の兼ね合いもあったから式は後回しにして、とりあえず籍だけ入れようと、婚約届ももらってきた。婚約指輪を買って、婚姻届にサインして、提出すれば晴れて夫婦になるってとき」

 事件は起こったのだ。

「彼女が、今まで見たこともないくらい幸せそうな顔をして出かけて行って、その日は帰って来なかった。次の日も、次の日も。実家にいるってことは知らされていたし、毎日メールも届いていたから、そんなに心配してなかったんだけど……」

 一週間ほどたって、帰って来た彼女の様子は、すっかり変わってしまっていた。

 帰って来るなり神谷さんの前で泣きながら土下座をして「お願いだから別れてください」と懇願した。

 わけが分からず、彼女を宥めて話を聞くと、自分が「身代わり」だったことを知ったらしい。


 彼女は幼い頃から隣に住む五歳年上のお兄さんに恋をしていた。

「大きくなったら結婚しようね」と可愛い約束もして、お兄さんが遠くの大学に進学してからも交流を続け、長い休みには必ず遊びに行った。

 その交流は、お兄さんがイギリス留学を決めたことで、これまで通りにいかなくなってしまった。

 ついて行くと言った彼女に、お兄さんは「あっちで頑張って、必ず迎えに来るから。それまで良い女になってろよ」と言って説得した。彼女も納得して、地元でひたすら帰りを待った。

 でもいくら待ってもお兄さんは帰って来ない。
 彼女は大学生になり、その寂しさを紛らすように、神谷さんと付き合い始めた。

 お兄さんと神谷さんの容姿は、驚くほど似ていたらしい。

 つまりは身代わり。神谷さんに、お兄さんの姿を重ねていただけ。

 彼女が突然別れを切り出したのは、お兄さんが日本に帰って来たから。
 留学を終えたあとそのまま向こうで就職して働いていたが、日本支社に転勤になり、本格的に帰って来たのだ。

 そしてお兄さんはかつての約束通り、彼女を迎えに来た。

 もう、身代わりは要らなくなってしまった。




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